NPO・NGOの現場からうまれた文献のbook review

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C1201339 佐藤諒多さん (80aedt0m)2021/7/29 16:02 (No.238627)
正義としての不倫 ーー坂爪真吾『はじめての不倫学 「社会問題」として考える』(光文社新書、2015年)

 一般的に社会においてほとんどの場合、不倫は悪とみなされることが多い。近年報道等でも取り上げられ、注目度も高くなっている不倫を個人の問題ではなく社会の問題として考えており、意図的に心理学的アプローチを排した上で社会学的な観点から不倫を分析している。
 不倫の問題を解決するためには夫婦間の信頼関係の再構築や法律的リスク・道徳論を説くだけでは難しく、なぜ不倫をしたのかということやその背景にあることを考えなければならない。筆者は不倫を悪であると言い切っていない。むしろ肯定的であるともいえる。一般的なイメージとして不倫をする人は夫婦関係が上手くいっていないと思われがちだが、これはステレオタイプな意見であり本書で挙げられている実例を見ると、むしろ「夫婦関係が円満だからこそ不倫をすることができる」「家族関係が良好だからこそ半ば公認で不倫を許される」ようだ。当然のことながら夫婦関係が上手くいっていない人が不倫をしないというわけではなくそのような人が不倫をすることもあるのだが、それが絶対ではない。
 夫婦関係や家族関係が円満・良好だからこそ、より自分もしくは配偶者の性欲や性交欲を満たすために婚外セックスをするということがある。これが一般的に悪とされてしまうのは単純に社会が不倫を受容していないからだ。不倫を絶対悪とされている現代社会だが不倫は市中に広がっており、受容しなさすぎるがゆえに逆に不倫により社会秩序が乱されている。そこで、ある程度不倫や婚外セックスを受容することでそれに対する耐性もできる。
 筆者は「性の公共」について考えるゼミナールを開き、性を個人ではなく社会の問題として捉えており、障がい者や高齢者の性についてもアプローチしている。そんな筆者により不倫に対する考えがまとめられたものが本書である。
(756字)
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C1201428 荘司風輝さん (80a8hnm4)2021/7/29 13:17 (No.238588)削除
不登校支援の是正ーー奥地圭子『不登校という生き方 教育の多様化と子どもの権利』(日本放送出版協会、2005)


 みなさんは「不登校」にどのようなイメージがありますか。制度の問題、競争の激化、本人が自立できるかが心配されると思います。
 日本の教育制度では行政が運営する「学校」が絶対視されています。支援制度や就職も学校が前提であるため、学校に行けないと様々な不利益を被る構造になっています。また、不登校支援は登校できていた状態へと復帰することを主眼としており、結果的に「学校」へ行けない子供達をさらに苦しめる場合もあります。このような過酷な状況にも関わらず、不登校になる原因は本人とその家族に責任があり、本人達の努力不足を非難する風潮があります。
 著者は不登校の子供と向き合った経験を生かして、1985年に東京シューレを設立しました。活動内容はフリースクールの運営等、学校に行けない子供とその家族への支援です。この団体の特徴は、行政ではなく不登校の子供の家族や関係者が協力して運営している点です。彼らが「学校」以外に学びの場を提供することで、不登校の子供達は再び教育を受けることができます。また、柔軟性があり子供たちの様々なニーズに個別に対応することができる点も「学校」とは対照的です。
 この活動の最も重要なことは、教育環境を市民が作り上げ、運営できることを周囲に示した点と言えます。例え学ぶことができても、社会がそれを正当に評価することがなければ、進学や就職で不利になることや本人が劣等感や不安によって苦しむ現状は変わりません。彼らの活動は行政の問題点を批判するだけでは完結せず、市民が望むものを自ら作り上げ相互に影響を与え合うことで、現状を少しずつ変化することができる市民活動の良い例です。
 この書籍を通してわかることは、不登校の子供と家族が何に苦しむのか、フリースクールの支援について、子供達が自立のために何が必要なのか、等です。加えて東京シューレの活動が世間にどのように受け止められたか、日本の不登校対策の歴史と問題点についても詳しく記されています。教育に興味のある方、子供の問題に取り組みたいと考えている方はぜひ手に取ってみて下さい。(866文字)
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c1202385 山本奈々さん (80a2e22f)2021/7/29 10:26 (No.238549)
湯浅誠『反貧困―「すべり台社会」からの脱却』(岩波新書、2008)

湯浅誠は1969年生まれで、東京大学大学院法学政治学研研究博士課程単位取得退学した人である。1995年よりホームレス(野宿者)支援活動を行い、2001年からは、野宿者に限定せず、貧困状態に追い込まれた人たちの生活相談を受けている。現在は反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長などを務めている。著書には「本当に困った人のための生活保護申請マニュアル」、「貧困襲来」などがある。
 この本では、貧困問題について扱っている。貧困による自殺、児童虐待、犯罪など、日本で起きた様々な実例や、日本の現状などが詳しく書かれている。それらの問題が起こった原因は、職に就けない、事故や病気、両親が早く亡くなっているなど様々な原因から、すべり台のように最後まで滑り落ちてしまう。このような社会を湯浅誠は「すべり台社会」と呼び、貧困の日本社会に警鐘を鳴らしている。
 この貧困問題にかかわり、発足したのが「もやい」というNPO法人である。「もやい」の活動は、住所不特定状態にある人たちに対するアパート入居時の連帯保証人提供、生活困窮者に対する生活相談である。また、連帯保証人提供をした人や生活相談に来た人を中心とした、誰が来てもいい喫茶店を開くなど、相互交流や居場所作りにも力を入れている。生活困窮者に必要なものは、お金だけではなく、人間関係、自信を持つことである。それらを補うためには、居場所を持つことで友人ができ、自分に自信を持つことができるような当事者へのエンパワーメントと、生活相談、支援などの社会資源の充実の二つが並行して行われる必要がある、と湯浅誠は考えている。
 日本はまだ貧困問題のスタートラインに立っていない。まず、日本に貧困があることを認識することが「すべり台社会」から脱出する第一歩である。貧困は自己責任ではなく、社会と政治に対する問いかけであることを受け止め、立ち向かう強い社会を作りたい、というのが筆者の願いである。(811字)
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C1200699  金子優斗さん (809o0wgc)2021/7/29 03:44 (No.238480)削除
日本の過酷な「労働」のあり方について――今野晴貴『日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?』(星海社、2013年)

 この文庫では、現代日本における「労働」の過酷さや労働関係の改善などの重要性について述べられた文庫であると読んで感じた。現代日本の「労働」の問題点は、非正規雇用が増加している中で就職できた若者に対しての長時間労働やパワーハラスメントが起きており、それが原因となりうつ病を発症してしまったり最悪の場合、過労死してしまう。本書では、そういった問題に対する考えを著者の大学生の時に立ち上げた「POSSE」での活動経験や自分の中での考えについてまとめられたものである。
 現代日本では、若者のパワーハラスメント被害のほかにもブラック企業がはこびっている。サービス残業や女性に対する差別などの違法が存在しており、なぜなくならないのかと問題にされてきたが、今野さんは大学での専攻した学問で現時点での「労働」の過酷さの原因は、日本社会に暮らしている人々の今までの様々な政策の積み重ねの結果であると述べた。この考えから今野さんは、「労働」を変えるためには企業が悪いや政策が悪いといったことだけを述べるのではなく、向き合うことも大切になるのである。「労働」の在り方を変えるためには、政治への参加と権利の主張をすることが必要になってくる。そのうえで大切になってくるのは、中間団体との関係性である。個人が働きかけるだけではとても届かないことでも中間団体といった「つながり」との関係性を持つことで要望や働きかけをすることができる。本書では、「過労死家族の会」が例として挙げられた。この会は、過労死で家族を失ってしまった家族やその家族たちを助けている弁護士たちから成り立っている。
 我々の目にするブラック企業報道の半分は、「POSSE」に来る相談が起点となっている。相談の中で今野さんが心がけていることは、相談だけでは終わらせないというもので世の中の人に知ってもらうことでその団体を知った人が相談に来ての循環がある。この循環を繰り返していくことで社会を変える力になりえる。
 この本書では、様々な学問を駆使し今野さんなりの「労働」についての考察をまとめられたものである。(858字)
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C1191351 白幡幸也さん (809duaos)2021/7/28 22:59 (No.238351)削除
地域を守る仕組みづくり ーー木村真樹『はじめよう、お金の地産地消  ー地域の課題を「お金と人のエコシステム」で解決するー』 (英治出版、2017)

 営利を目的としないNPOやソーシャルビジネスは現在、社会にとって重要な役割を担っている一方で、それらの活動に必要な資金は既存の金融機関からは借りることが難しいという課題がある。本書は、地方銀行職員であった著者が2005年に名古屋で立ち上げた「コミュニティ・ユース・バンクmomo」という地域のために活動しようとしているNPOやソーシャルビジネスのためにお金を融資する「NPOバンク」の活動について書かれているものである。
 「momo」では、融資を行なって事業を拡大するという目的ではなく、地域の住民が自分たちの力で地域課題を解決できるような仕組みをつくるという目的で活動しているため、融資先に貸しているお金に高い利子がつかないところが大きな特徴とも言える。ここでは、地域のために活動をしたいと考えているNPOやソーシャルビジネスに対して、お金を闇雲に貸し出すというわけではなく、事業主に対して具体的な課題を「見える化」してもらうことで貸し出す判断を行なっている。
金融機関の融資とは異なり、地元の住民である出資者が出したお金の行き先は常に「見える」ようになっており、安心にもつながる。こうしたところから出資者と「momo」には信頼関係も生まれ、地域の発展にもつながっていく。
 著者が目指すものは、地域の課題を自分たちの力で解決できる社会であり、人まかせにして解決を目指していくものではない。そのためには抱えている課題を「見える化」し、具体的な目標を提示することで賛同する人を集めるということが解決に必要になってくる。つまり、限られた資源で解決をするために人々が協力するということが重要である。「NPOバンク」では地域の住民からお金を集めることで課題解決のために人々がつながることのできるきっかけをつくるという役割も担っているのではないだろうか。(851字)
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C1200357 上野 大地さん (8093z8ba)2021/7/28 18:23 (No.238236)削除
これからの未来は「お金」が消滅するかも?ーー斎藤賢爾 「2049年「お金」消滅〜貨幣なき世界の歩き方〜」(中公新書ラクレ、2019年)

 キャッシュレス化が進行している現在、しかし昔ではお金を持たずに買い物ができるなんて考えられなかった。そして斎藤氏は「2049年はお金は今とは全く意味合いが違う、かつてお金だったと気づかれないような存在に変わってしまっているのではないか」と想像している。この本は早稲田大学大学院経営管理研究科教授の斎藤氏が見る2049年のお金の存在について、そしてこれからの経済の未来について非常に詳しく記載されている。とても多い情報量のため、読者は様々な選択肢が与えられる。このお金という存在が様々に変化していく社会でどのように対応するべきなのか考えさせられる本である。
 現在の社会はキャッシュレス化が進んでいることはわかっているが、お金を「使わない」「稼ぐ必要がない」世界というものも急速に拡大している。この文章を見て私は驚愕した。日本という社会は働いてなんぼのものだと思っていた。さらにこの社会でユーザーたちから選ばれるような事業は「無料のサービス」が最強であるとされている。このような無料のサービスの発展には「利益追求」のために考えるのではなく、利益に結びつかないアイデアこそ良いビジネスの「種子」がある。その種子の発見には「NPO」のような自らの意思に基づいて協力し合う環境のほうがよいと著者は述べている。私はNPOが求めているのは「利益」ではなく、「人々の幸福や、不便の解消」などであることがビジネスの種子を生み出しやすくさせるのではないかと考えた。この他にも食料やエネルギーなどの未来について今まででは考えられないような出来事がたくさん出てくる。しかし、この予測を受け止め、自分ではどのように行動し、対処していくかを考えることでこの本はより楽しめることができると考える。
 この本は正直驚愕することばかりだが、今の社会において実現できる可能性は大いにあるものばかりである。これは今の若者に特に読んでほしい本である。
(804字)
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C1200794 木村凌斗さん (807ugh8z)2021/7/27 21:08 (No.237878)削除
知らない性風俗の世界

坂爪真吾,『性風俗のいびつな現場』筑摩書房,2016年1月1日出版

著者坂爪慎吾さんは、主に「性」の問題を取り扱っている。新しい「性の公共」をつくるという理念の下、障害者に向けた性のサービスや、風俗産業の社会化を目指すサミットなどを開催したりなど、社会的な切り口で現代の性問題の解決に取り組んでいる。その経験に基づいた理念は『性風俗のいびつな現場』を読むと強く伝わってきた。
当書を読むにあたり、読み初めで受ける印象と読んでからの印象は全く違うものになっていく。初めは、。妊婦・母乳専門店の需要、激安風俗店のもたらした影響や、客層や、風俗レポや、風俗店の経営者の軌跡、営業中の裏側など、男性目線、お店目線で語っている部分が大きい。しかし、読み進めていくにつれての印象は正反対である。その風俗店舗で働いている女性達はなんらかの問題を抱えている。貧困、シングルマザー、知的障害、など、可視化できるものから可視化できないものまである。その中で、ある激安風俗店は、「デブ、ブス、ババア」を売りにする風俗店がある。このキャッチフレーズを聴く限りは極めて差別的で、反社会的に思えるかもしれない。しかし、その実態は限りなくソーシャルワークに近い風俗、もしくは限りなく風俗に近いソーシャルワークに近い。時には風俗店のスタッフと一緒に市役所に行ったり、泊まる場所のない女性が店の待機部屋に宿泊させたりなど、雇用関係という言葉一つでは語れないのではないだろうか。だが、この関係性ではお店が女性に施すことばかりでメリットがないように思える。だが、実際のところお店にもしっかりとメリットがある。女性の生活レベルの向上、メンタルの安定は、店への出勤率の高さ、接客レベルの向上に繋がると考え、結果的には利益に繋がったりなどwin-winな関係性である。
「風俗」のイメージが根底から覆される『性風俗のいびつな現場』は常に飽きさせず、読んでいてためになる。
(822)
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C118059A 奥山泰地さん (805stx66)2021/7/26 10:47 (No.236937)削除
新しいコミュニケーションの在り方についてーー加藤哲夫『市民の日本語(NPOの可能性とコミュニケーション)ー』(ひつじ書店、2002年)

この本は加藤哲夫さん自身がワークショップを行う中で感じてきたコミュニケーションの在り方について伝えたいのだと感じた。哲夫さんはワークショップを行う中で様々な講演や議論などを重ねてきた。その中で議論をするとなるとやはり声の大きい人、倫理的な人などがやはり議論の輪を支配してしまうことがある。そのことにより発言を遠慮してしまう人が出てきてしまい、仮にもまとまった話ができなくとも一人の貴重な言葉を蔑ろにしていることを気づくことができなくなってしまう。本の中でも哲夫さんが言っていた、「例えば行政側と市民側を対面で並ばせて意見の出し合いをすると、意見を出したとしても公式的な返事しか行わず話し合いが平行線をたどってしまい意味のない話し合いになってしまう」だが、哲夫さんの考えとしては並び方を車座に変え、順番に行政側と市民側で交互に話し合い、さらに場所を和室にするとより良い議論ができるのではないかなどと、場所や見方を変えることでお互いに気持ちの良い議論を行うことができると、述べている。
このように当時のコミュニケーションの在り方について哲夫さんは疑問を持っており自分自身のNPO・NGO活動で行っているワークショップを重ねてきた中で「参加型」が理想的なのだと提案した。哲夫さんも講演や議論をする中で昔はコミュニケーションやり方に欠点があり、相手の発言を遮るなど反発を受けていたそうだ。これでは哲夫さんだけが当事者となってしまう。ですが、「参加型」だと皆が平等となり一人一人が当事者になることができる。当時のコミュニケーションの在り方について考えられており如何にして私たち、市民側の声を伝えていくのかなどの、新しいコミュニケーションの在り方について様々な事例を含めて哲夫さん自身の考えが述べられている。(743字)
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C1201233 佐藤大晟さん (7zqvo6n9)2021/7/16 00:42 (No.232490)
NPOは役に立っているのであろうか?ーー田中弥生『「NPO」幻想と真実ーそれは本当に人々を幸福にしているのだろうか?ー』(株式会社同友会、1999年)

 NPOは本当に人々のために活動を行っているといえるだろうか。今日では多くのNPO団体が存在するが、実際に彼らが行う活動は果たして彼らが掲げる目標や目的に到達しているだろうか、彼らは相手のために善意を持って活動を行っているため、他者に迷惑がかかることはありえないことであると誰もが思うだろう。しかし、活動を行うにあたって不利益を被る人や団体も残念ながら時には存在してしまうこともある。更に善意で行われるがゆえに彼らが実行しようとしている活動をやってほしくない場合でも断れない、断りづらい人もいる。このようなことを著者である田中弥生さんはミスマッチ現象と呼び、相手の思惑と異なることや不利益を被ってしまうことを指している。
 著者である田中弥生さんは財団に勤務し、国内だけでなく海外のNGO活動を見てきておりその中でもタイの農民の所得向上プロジェクトにおいて農民の生産物を都市で販売するためのマーケティングを支援するという活動を行ったが、結果としてミドルマンという仲買人の職を失わせてしまうことになってしまった。
善意のある行動は必ず結果が出るなどといった精神論をもとにして活動しても成果が必ず出るという保証はなく、むしろ不利益が深刻化し社会問題と化してしまうことも場合によっては存在してしまうのである。
 大まかな内容として第1章はNPOの種類や定義、現状等を述べ、第2章にNPOの課題点を挙げており、特定の分野への偏り、資源提供者の指示に従わざる負えないことや資金や人材などといった問題が挙げられている。第3章は資源をめぐるNPOのミスマッチ問題を取り上げ、マクロレベルとミクロレベルに分けられ、それぞれの具体的な例と共に説明されている。第4章はマネジメント理論の適用について説明し、営利組織で開発された経営、マーケティング、戦略がNPOの場合それらの三つに何が当てはまるかを記載している。第5章ではトランザクション・コスト理論の適用について述べ、そのうえで、NPOとの関係性やミスマッチ問題の解釈に適用し説明している。(845字)
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C1201233 佐藤大晟さん (7zqvo6n9)2021/7/16 00:49削除
誤記 田中弥生『「NPO」幻想と真実ーそれは本当に人々を幸福にしているのだろうか?ー』(株式会社同友会、1999年)
訂正 田中弥生『「NPO」幻想と現実ーそれは本当に人々を幸福にしているのだろうか?ー』(株式会社同友会、1999年)[1]
です。よろしくお願いします。
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滝口克典さん (7zd9nanv)2021/7/6 11:33 (No.228654)
商店街はよみがえる?――斎藤一成『100円商店街の魔法』(商業界、2010年)

 中心市街地活性化事業「一〇〇円商店街」。要約すると、商店街全体を一つの「一〇〇円ショップ」に見立て、そこに位置する全店舗で店外に一〇〇円コーナーを設置し集客を図るという商店街活性化の取り組みである。街全体が会場とも言えるため、ユニークな一〇〇円商品――「こんなものもあんなものも一〇〇円!」――を求めて、客足は商店街の隅々まで及び、さらには個店の店内にまで伸びる。
 これまで全国各地の四〇以上の商店街で実施され、現在もなお開催地を拡大し続ける、この感染力ゆたかな企画は、もとは、新庄市で商店街まちづくりに取り組む市民団体「NPO‐AMP」(二〇〇三年発足、現在はNPO法人)が発案したもの。本書は、新庄市役所職員でありながら、同法人理事長でもあるという「二足のわらじ」スタイルを実践する著者自らによる「一〇〇円商店街」入門である。
 そもそも商店街とは、地域社会の生活基盤といえるもの。現在は郊外大型量販店に押されまくっているが、仮にそれらが撤退した場合には、地域の人びとにライフラインを提供できるのは地元の商店街以外にない。当然、商店街の存在意義は「商い」であるから、その存続には個々の商店の収益増大が不可欠である。とはいうものの、従来の行政主導まちづくりは、補助金を使ったイベントで集客には成功するものの、それを商店街の収益につなげることには失敗し続けてきた。
 「一〇〇円商店街」がユニークなのはまさにこの収益増大の達成という点だ。補助金には頼らず、自分たちの街は自分たちで何とかしていこうという気概。その上で、店主たちのやる気を巧みに引き出し、それぞれが創意工夫に乗り出しやすい環境を整える。お茶屋の「抹茶シフォンケーキ」や理容店の「眉毛カット券」など、ユニークな「一〇〇円商品」群はその結晶だ。
 山形発の価値が全国区でも高い評価を得る機会が重なっておきた「山形現象」。まちづくり版「山形現象」の全貌がここにある。(809字)
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