NPO・NGOの現場からうまれた文献のbook review

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C1201670 竹内 悠登さん (8egddpeq)2022/7/21 13:36 (No.479166)削除
小暮真々『「20円」で世界をつなぐ仕事』(日本能率協会マネジメントセンター、2009)

 本書は、NPO法人「TABLE FOR TWO International(テーブル・フォー・ツー=TFT)」の活動について、著者の外国のマッキンゼー・アンド・カンパニーでの戦略コンサルティングの経験や日本の松竹での仕事の経験を通して語られている。
 TFTが担っている社会問題は少し他のNPO団体とは違い、本書が発行された当初の日本での問題であるメタボを解消する問題と開発途上国での食糧不足問題解決のために給食支援をおこなっている。この団体はNPOの側面も持ちながらNGOの要素も含んだ団体である。簡単に要約すると先進国の食の食べ過ぎによる肥満を解決すると同時に貧困国の食糧不足も同時に解決する「食の不均衡」の改善を目標としている。
 具体的な取り組み内容はシンプルである。それは先進国の食堂を持つ企業に肥満を解消するためのTFTが考えた低カロリー食を提供する。そしてメニューの購入金額のうち20円が開発途上国の子供の給食費として支援される。ここで重要であるのが食堂のメニューに途上国支援を行える仕組みを作ったことと先進国の人々にとって支援しやすい金額であることである。本書でも述べられていたが支援をすることを日常的に利用する食堂に組み込むことによって支援するというハードルをかなり低くすることができる。また、20円の支援金という金額は、先進国の人々には支援しやすい金額となり、途上国の子供たちの給食1食分になる値段であるため、持続的な支援の仕組みを構築することができる。また、この団体の取り組みは団体の活動源となる支援金の収集にビジネススキルを活かし、Purpose(目的・達成目標)」、「Partnering(提携)」、「People(組織・人事)」、「Promotion(宣伝・広報)」、「Profit(利益・成果)」の5Pを活かしながら目標の達成が行われていた。
 本書を読んでみてNPOとして日本で活動しがらもう一方はNGOのような形で世界の社会問題も解決する素晴らしい取り組みの例の一つであると感じた。しかし、本書でも述べられていたが、アメリカのような社会起業家(NPO・NGO)が認められたような国では、職として認められていても日本では、団体の職員だけでは生活することが難しい現状があることを知った。そのため、人類が環境にも社会的にも持続的に生活していくためには、NPOのサポートをより拡大しなければならないのではないかと感じた。 (879字)
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C121131A 鈴木功毅さん (8e9v0hhm)2022/7/20 20:48 (No.478507)削除
「生きるとは 最終版」
(西村博之『居場所のちから 生きてるだけですごいんだ』教育史料出版会、2006)

 この本の著者は1960年東京の浅草生まれ。86年から不登校児童・生徒や高校を中退した若者の居場所づくりにかかわっている。そして91年、川崎市高津区に「フリースペースたまりば」を開設し、不登校児童・生徒やひきこもり傾向にある若者たちや、さまざまな障害のあるひとたちとともに地域で育ちあう場を続けている。03年7月にオープンした川崎市子ども夢パーク内に、川崎市の委託により、公設民営の不登校児童・生徒の居場所「フリースペースえん」を開設。06年4月からは、指定管理者として子ども夢パーク全体の管理・運営にあたっている。
 本書は、著者が不登校児童や引きこもりに陥りかけている子どもたちとふれあい、共に過ごしていくことで一般社会に蔓延っている偏見や差別に向き合い、「生きる」についての考えを見出していくことを描いた文献になっている。特に本書では、学校に行くことは絶対に正義なのか、また親の言われたことをやり期待に応えることが本当に正しいのかと私たち常識人とは少し違う観点が出てく。     
 しかし私は、本書を読んでそれには答えはなく人それぞれ様々な人生がある。生きるとは正しくそういうことであり、答えはなく、尚更人から指図される筋合いもないと説いているのだと考える。まずは周りの人たちがその人が今何をしたいのか、そして何を伝えたいのかその小さな声をちゃんと拾ってあげることが大切なのだ。
 そして「生きる」ということについては、一言で言えばこの世に生まれてこうして暮らしているだけでもすごいことで、とても価値のあることなんだということをこの本書からとても強く感じた。最近いじめなどで自分の存在に疑問を持ったり自己肯定感が持てない子が増えている。その中でも、不登校だろうが何か問題を抱えていようが生きているということはそれだけもものすごく奇跡的なことなのだということを本書から伝わってきた。                                      
 だから、私からも本書を読んで是非「人生」とは「生きる」とは、ということについて考えてほしい。(825字)
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C121038A 遠藤瑠花さん (8ef6gzgg)2022/7/20 17:39 (No.478361)削除
「高校中退と若者の貧困について」
(青砥恭『ドキュメント 高校中退 いま、貧困がうまれる場所』ちくま新書、2009年)

 作者である青砥恭さんは、「子ども・若者の貧困と格差」を教育と持続的な地域づくりという視点から研究している。2011年7月に特定非営利活動法人さいたまユースサポートネットを設立。その後、さいたま市で学習支援、居場所づくり、就労支援など若者たちの包括的支援のネットワークと地域拠点を作る活動をしている。
本書では底辺高校と呼ばれる高校の実態、そこで働く教師の声、高校を中退した若者へのインタビューを通して貧困と高校中退の関係性を詳しく明記している。高校中退と貧困は密接に関係しており、高校を中退したことで雇ってもらえず生活できない若者が多くいるのが現状だ。内容で特に多かったのは幼いころから親の愛情を受けていなく、親から突き放されており中退しても居場所がないケースだった。学校に行きたくても授業料が払えない、生活費を稼ぐためにアルバイトをしなければならないため学校に行けない。それで単位が取れず中退するのだ。これはそうなってしまった親にももちろん問題があるが、社会にも問題があると考える。貧困に悩まされる若者の親もまた、貧困なのだ。作者である青砥さんは現状をこう言った著書、講演会などで述べ社会に問いかけている。
 私はこのような題材を取り上げたドラマとして昨年の24時間テレビの「生徒が人生をやり直せる学校」が思い浮かんだ。市内でも噂の底辺高校の状況を教師陣が協力し変化させ、学校の印象を変える。そして少しでも生徒の卒業後の進路を増やすという内容だった。しかし、今回の本を読んで、実態はそんな甘くなく、学校をやめなければいけない、卒業できない状況にある若者が多いことを知った。それは自分で学校をやめるという選択肢を取っているが、社会から辞めさせられているのではないかと思う。教育を受ける義務があるなら、教育を受けることができる環境も存在するべきだ。今回この問題について考えるきっかけとなった。今後も追求し、働きかけていきたい。(805字)
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C121038A 遠藤瑠花さん (8ef6gzgg)2022/7/20 17:37 (No.478359)削除
「いじめが流されない世の中のために」
(阿部泰尚『保護者のためのいじめの教科書』集英社、2021年)

 著者である阿部泰尚さんは、日本で初めていじめ調査を受件した私立探偵。依頼を受ける際は人件費のみを受け取るようにしていたが、受件数が増えていくにつれ、ひとりでも多くの子どもを救いたいと2014年にNPO法人ユース・ガーディアンスを設立。以降6000件にも及ぶいじめ相談を受け、関係各所が動きの取れない状態にあった400件で収束・解決に導く。
 具体的な事例を紹介する。子どもがいじめに遭った場合、すぐさまその状況を解決したいと思うのがその保護者だ。しかし、保護者の多くは、現在の職場がブラック職場になっていしまっていることや、長時間労働で疲れ切っている先生の中には、「できれば、いじめなんかなかったことにしたい」と思っている人が相当数いることを知らない。そのため、少しでも学校を非難するようなことを言ったり、感情的な様子を見せると、学校から「モンスター・ペアレント認定」されてしまうケースが後を絶たない。「モンペ認定」されると、学校側はあたかも親をクレーマーのように扱い始める。親から対処を求められても、「見ておきます」と答えつつ、実際には何もしないという対処を始めるのだ。 そういったいじめが起きた際に保護者が学校側から「ただのクレーマーであるモンペ」ではなく、「いじめの被害を受けている子どもの保護者」として適切に対応してもらう方法、モンペと認定されてしまった時の対処法、子どもとの接し方がこの本には記されており、ユース・ガーディアンスではそのような悩みを持った保護者への助言、時には実際に調査を行い、学校への働きかけを行っている。
近年では、学校側の対応が悪く、いじめに耐えられなくなった被害者が自ら命を落としてしまうケースが少なくない。そのような状況の中で、このようなNPO法人があり、相談できるのはとても心強いと思う。学校に流される可能性がある前にこう言ったNPO法人に相談し、全員が望ましいい対応が受けることが当たり前な世の中になってほしいと思う。(811字)
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C121038A 遠藤瑠花さん (8ef6gzgg)2022/7/20 17:35 (No.478356)削除
「ブラック企業が存在する社会を変える」
(今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』文春新書、2012年)
著者である今野晴貴さんは、2006年の中央大学在学中に若者の労働相談を受け付けるNPO法人「POSSE(ポッセ)」を立ち上げ、以来1500件を超える労働相談に関わってきた。
 「「ブラック企業」という問題を、ただ若者が「ひどい会社」から被害を受けている、とだけ捉えてはいけない。ブラック企業問題は、日本社会に様々な弊害を生み出しているからだ。例えば、ブラック企業は消費者の安全を脅かす。また、個人としての若者だけでなく、日本の経済・雇用システムを破壊してしまう。パワーハラスメントや長期労働によって、若者の間で鬱病が蔓延すれば、それだけの国の医療負担は増大する。」とブラック企業が与える影響の大きさについて述べている。
 そのような現状を受け、著者はブラック企業に入らないようにする方法ではなく、そもそもブラック企業をなくす社会的戦略を2つ提案している。1つ目は労働組合やNPOへと相談し、加入し、新しい繋がりを作ることだ。このことによって、自らの「戦略的行動」に社会性を付与しやすくなる。また、そうした団体での行動を通じ、個人では解決できない問題を解決したり、他の人への支援をも行うことができると思う。第2に労働法教育を確立し、普及することだ。現在は公民で労働権についての学習は行われているが、そうした知識は現実では何の役にも立っていない。労働に関する権利行使の仕方を具体的に教育し、次々に違法な企業が取り締られるようになること。さらにはNPOやユニオンに対する適切な知識が普及し、加入率が増えていけば、ブラック企業はなくなっていくだろう。
 ブラック企業は被害者からの報告や、被害者が過労死してからじゃないと表に現れにくい現状があると思う。それは、誰かに相談したら辞めさせられるかもしれないという恐怖心があるからなのではないかと考えた。悩んでいても動けず、悩み続けている人々に少しでも働きやすい環境を提供できるように私も働きかけていきたい。(799字)
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C1210982 佐久間栞さん (8ef3h1yd)2022/7/20 16:11 (No.478295)削除
「市民の力で東北復興 大震災・原発事故、新しい時代への災害ボランティア論」
綾部 誠/井上 肇/新関 寧/丸山 弘志
株式会社ほんの木 2012年1月15日

本書は、米沢を拠点とするボランティア山形の中心的存在である著者4人が、東日本大震災後の1年間の活動記録としてまとめられたものだ。震災や津波による被害だけではなく、原発事故による放射能汚染から逃れるため、米沢には福島から多くの避難者がやって来ている。こうした方々への生活支援をはじめ、東北の被災地・避難所への支援物資の提供と輸送、東北で活動する様々なボランティア団体への中間支援、そして行政への政策提言が、この1年間のボランティア山形の活動の柱だった。
東日本大震災の発生直後に井上さんが丸山さんを米沢に招聘したのは、丸山さんの神戸での経験を活かしてもらうためだったというが、その考えは見事に当たった。避難所や被災地でのボランティア・マネジメント、行政への政策提言という面において、丸山さんが果たした功績は非常に大きい。井上さんと丸山さんは懐の深いリーダーシップを持つ方々で、その周りには綾部誠さんや新関寧さんをはじめ、様々なジャンルの専門家が集い、そうした人々が協力しながら事に当たる体制が作られた。ボランティア山形のあり方は今後の災害ボランティア・マネジメントやボランティア団体への中間支援について考える際に非常に参考になる。
 しかし、ボランティア山形の活動を根っこで支えているのは、生活クラブやまがた生活協同組合の職員と組合員の方々の協力だということも見落としてはならない。ボランティア山形が活動拠点とする「グループホーム結いのき」の職員の方々は忙しい介護の仕事の合間を縫って、ボランティア・メンバーのために朝・昼・夜の食事を用意し、寝泊まりする場所を提供してきた。食事の提供については、多くの組合員も協力してくださっているという。人が社会で安心して暮らしていくためには、公助、共助、互助の全てが必要だというが、米沢では元々それらがバランスよくしっかりと根付いていたからこそ、今回のボランティア山形の活動がうまく進んだのではないかと思う。そのことは本書でも触れられており、それを読むと普段からの地域づくり、コミュニティ作りの大切さにも思い至らされる。(875文字)
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C1211964 三浦滉一さん (8ef0mazp)2022/7/20 14:51 (No.478232)削除
栗山さやか 
『なんにもないけどやってみた』
岩波ジュニア新書 発行年2011年

 この本にはアフリカの人々の劣悪な生活環境や医療などについて記されている。この本の著者である栗山氏はアフリカボランティアをする前には109で働いていた。栗山氏は当時の職場環境にも負けずに同僚たちが辞めていく中一定のポストにつくまで我慢するなど、とても忍耐強い人物である。
 栗山氏が主に活動をしていたエチオピアの施設ではHIVの患者が多く、中には手遅れだと思えるほど体が侵されている人も多数いた。その施設はHIVの患者を治療する施設であったが、HIVがそもそも完治不可能の病気であることやHIVの進行状況から終末医療施設の様な印象を受けた。その施設で活動する人々は皆自身の無力さを痛感し、それでもなお誰かの救いとなるべく活動している。患者の治療はもちろん、現地の人とコミュニケーションがとれるように語学の勉強をしたり、患者の介護などその活動はじつに様々である。エチオピアの生活環境はトイレの排水が上の階から漏れ出していたりするなど日本と比べるとかなり劣悪である。そもそもエチオピアでは治療施設にたどり着くことが幸運と言われており、大半は施設にたどり着く前に死亡してしまっているという。そんな環境下での活動は想像を絶する様な負担がかかるだろう。自分の担当する患者が亡くなり傷ついていてもその傷が癒えない内にまた新たな患者がやってくる。栗山氏は自身の無力さを憂いていたが、私はこの本からどれだけ過酷な運命に翻弄されながらそれでも生きようとする患者と、傷つきながら誰かを救うために活動する職員の強さを感じ取れた。
 この本で取り上げられている社会問題はここでは取り上げられない程多岐に渡る。複数の深刻な社会問題が複雑に絡み合って今のエチオピアが構築されてしまったのだ。その中でもとりわけ問題視されているのは貧困、売春、レイプである。この3つが解決されない限りはHIVの患者は増加する一方である。この本はリアルや体験談が記されているが、同情を求めているのではなく、『どうすれば自分たちが苦しむ人々の力になれるか』ということを考えることを促しているように感じた。
(874字)
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C121131A 鈴木功毅さん (8e9v0hhm)2022/7/17 08:46 (No.475669)削除
生きるとはーー西村博之「居場所のちから 生きてるだけですごいんだ」(教育史料出版会、2006)

 この本の著者は1960年東京の浅草生まれ。86年から不登校児童・生徒や高校を中退した若者の居場所づくりにかかわっている。そして91年、川崎市高津区に「フリースペースたまりば」を開設し、不登校児童・生徒やひきこもり傾向にある若者たちや、さまざまな障害のあるひとたちとともに地域で育ちあう場を続けている。03年7月にオープンした川崎市子ども夢パーク内に、川崎市の委託により、公設民営の不登校児童・生徒の居場所「フリースペースえん」を開設。06年4月からは、指定管理者として子ども夢パーク全体の管理・運営にあたっている。
 本書は、著者が不登校児童や引きこもりに陥りかけている子どもたちとふれあい、共に過ごしていくことで一般社会に蔓延っている偏見や差別に向き合い、「生きる」についての考えを見出していくことを描いた文献になっている。特に本書では、学校に行くことは絶対に正義なのか、また親の言われたことをしたり、親の期待に応えることが本当に正しいのかと私たち常識人とは少し違う観点が出てくる。しかし私は、本書を読んでそれには答えはなく人それぞれ様々な人生がある。生きるとは正しくそういうことであり、尚更人から指図される筋合いもないと説いているのだと考える。まずは周りの人たちがその人が今何をしたいのか、そして何を伝えたいのかその小さな声をちゃんと拾ってあげることが大切なのだ。そして「生きる」ということについては、一言で言えばこの世に生まれてこうして暮らしているだけでもすごいことで、とても価値のあることなんだということをこの本書からとても強く感じた。最近いじめなどで自分の存在に疑問を持ったり自己肯定感が持てない子が増えている。その中でも、不登校だろうが何か問題を抱えていようが生きているということはそれだけもものすごく奇跡的なことなのだということを本書を読んで考えることができた。
 だから、私からも本書を読んで是非「人生」とは「生きる」とは、ということについて考えてほしい。(825字)
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滝口克典さん (8e7vk6zw)2022/7/15 15:04 (No.473988)削除
生活者目線の支援策探る――三好亜矢子・生江明編『3.11以後を生きるヒント:普段着の市民による「支縁の思考」』(新評論、2012年)評

 東日本大震災から約二年。被災した人々に対し、さまざまなアクターによる多彩な支援が行われてきた。それらのうち、特に「普段着の市民」――行政職や専門家など「支援」のプロではない、普通の生活者たち――によって行われた支援をとりあげ、それがもつ可能性や有効性について論じたのが本書だ。
 本書では、被災地支援に活躍したNPOやボランティア・グループ、協同組合など、15ほどの実践事例が詳細に紹介され、それぞれ丁寧な検討や考察が施されている。本県からは、米沢市の生活クラブやまがた生協を母体とする支援団体「ボランティア山形」(13章、14章)や同市内に開設された避難者支援センター「おいで」(15章)、最上町の曹洞宗松林寺による災害ボランティア(3章)の活動などが取り上げられている。
 では、こうした「普段着の市民」による支援のメリットとは何か。本書はそれを、①小さいこと、②多様であること、③現場密着で丁寧であること、④対話があること、⑤夢があること、の五原則として定式化する。これらはどれも、行政職や専門家などプロが行う制度的な「支援業務」の対極にあるものだ。
 例えば、制度的な「支援」では、すべての対象者に公平かつ迅速にサービスを提供せねばならないため、①~⑤のようなありかたは許されない。しかし、被災地では制度の「想定外」の事態が常態化していた――例えば、個数の不足ゆえに分配できず避難所の隅に積まれたままの物資の山――ことは震災後の私たちにはもはや常識。「想定外」の環境下で被災者と資源とをつなぐための最適解が、小さく多様な市民たちのイニシアチヴにより、そしてまたそうした人びとのヨコの連携(本書はこれを「支縁」と呼ぶ)により、各地で豊かに紡ぎだされていたのだった。
 あのとき、そしてあの後、いったいどんな支援が行われていたのか。これは、私たちの社会が非常時にどう機能したかをめぐる問いでもある。本書が浮かび上がらせるのは、そうした私たちの社会の自画像である。(825字)
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滝口克典さん (8e7vk6zw)2022/7/15 15:01 (No.473983)削除
語られるNPOの本質論――村井雅清『災害ボランティアの心構え』(ソフトバンク新書、2011年)評

 本書は、3.11以後、私たちの日常の一部と化したかに見える災害ボランティアという存在について、被災地NGO協働センター代表を務める著者が、豊富な実践事例に基づいて、その意義や可能性を論じたものである。とりわけ、私たち自身が当事者ともなった東日本大震災の事例が身につまされる。
 本書によれば、著者たちは、私たちが停電の暗闇の中で何もできずにうろたえていたのとちょうど同じ頃に被災地へ先遣隊を送り、また電気復旧後、私たちが生活物資を少しでも多く確保すべく列をつくっていたのとちょうど同じ頃に本県内外で避難者支援を本格化させたという。県内の災害支援NPOの人びともまた当時同じように考え動き始めていたわけだが、正当な手続や申請がなければ動けない行政やその下請機関とは異なり、自分たちの頭で何がニーズかを考え、その充足に向けて行動するアクティヴィズムが、彼らのようなNPOの本質にある。そうした本質論が東日本大震災という共通体験を素材に縦横に語られる本書は、私たち東日本の人びとにとっての格好のNPO入門となっている。
 とはいえ、災害支援NPOの前途は多難だ。震災直後、「初心者は被災地に行くべきでない」という「迷惑ボランティア」言説がマスコミを中心に広がった。その効果もあってか、災後一貫してボランティアは不足しているという。本書はこれを批判、各自が自分の頭で思考し行動する「十人十色」のボランティアだからこそ現地の多様なニーズに応えることができる、ゆえに初心者も押しかけていい、と論じる。
 評者の目には、被災しなかった自分には被災者を助ける道義的義務があるのではという人びとの葛藤やそれに由来する不安を、「いや、あなたは何もしなくていいんだよ」と慰撫し、無為を正当化してくれるものだったがゆえに「迷惑ボランティア」言説は普及したように見える。「あなたは何もできない、ゆえにしなくてよい、他の誰かに任せるべき」――かような甘言が、あれほどの震災を経てなお、私たちの社会には蔓延している。あの言葉に安堵した「あなた」にこそ、本書を手にとってほしいと思う。(870字)
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