NPO・NGOの現場からうまれた文献のbook review

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C1211970 三浦大知さん (8ezcyn40)2022/8/3 20:32 (No.494308)削除
ブラック企業から守る――今野春貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書、2012年)

 本書の著者である今野晴貴氏は1983年、宮城県生まれ。2006年中央大学在学時に若者の労働相談を受け付けるNPO「POSSE」を立ち上げ、現在同法人の代表を勤めている。「POSSE」は立ち上げ以来1500件を超える労働相談に関わってきた。
 本書ではブラック企業の特徴や実態、ブラック企業が社会に及ぼす影響、ブラック企業から身を守る方法、社会的対策が論じられている。ブラック企業は従来は暴力団のフロント企業というイメージを持たれる言葉だったが、現代では違法な労働条件で若者を働かせる企業という意味として使われており、若者の側から企業の労働実態を告発する言葉となっている。また、ブラック企業問題は日本社会に様々な弊害を産み出す。ブラック企業の実態として、ハラスメントを通じ効率的に退社させる、大量採用、大量退職による選別、改善という名の人間破壊などの行為が行われており、利益を最大化させるために若者を食いつぶしている。これによりブラック企業で若者が働き続けることができなくなるだけでなく、精神疾患を患ってしまうこともある。これが一般的に大手企業と呼ばれている企業でも起こっているのである。そして、ブラック企業から身を守るために必要となるのが「戦略的思考」である。本書では「自分が悪いとは思わない」、「会社のいうことは疑ってかかれ」、「簡単に諦めない」、「労働法を活用せよ」、「専門家を活用せよ」の5つが示されている。また、ブラック企業をなくす社会的な戦略として労働組合やNPOに相談し、加入し、新しいつながりを作ること、労働法教育を確立、普及することを提案している。外部構築にしても、教育活動にしても政府の対策を待っているだけでなく、
市民一人一人が始められることである。
 本書を読み、ブラック企業の実態を知るだけでなく、私たち、社会がとるべき考え、行動を知ることができたし、ブラック企業の認識を改めることにもなった。ブラック企業が社会問題となっている現代だからこそ、本書でブラック企業について知るべきなのではないだろうか。(858文字)
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C1211622 田代朱音さん (8ezcgrzd)2022/8/3 20:18 (No.494285)削除
湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日文庫,2015)
 ヒーローを待っていても世界は変わらない。この本のタイトルを見たとき、フィクションではないこの現実世界でヒーローを待つとは何事?いわいる悪の存在がいなければ、悪に立ち向かう皆を守るヒーローもいない。ならば、この本でいうヒーローとは一体なんなのか気になり手に取った。
 本の冒頭を読むとこの本で扱っている社会問題は、民主主義の問題を扱っているということだ。これも、最初に扱っていたのはホームレスの問題であり、貧困問題にいき、様々な問題や課題の解決に向かっている途中で民主主義という問題に行きついたようだ。
 この本では日本の民主主義の現状とそこに表れている課題について述べられている。一番伝えたいメッセージは、民主主義とはめんどくさくて疲れるものだということだ。
 人にはそれぞれ個人の考え方が様々存在する。多数派の意見もあれば少数派の意見も存在する。人が話し合いをしたときに、自分たちの意見だけを通そうとしても、意見が衝突し、合意形成に至ることは難しいのは容易に想像できる。いかに相手にも伝わるように話すか、聞く側も柔軟な思考や相手の意見も尊重し落ち着いて聞くことをしなければ、話し合いは難しい。寄り添い、妥協点や調整を行うことが必要になってくる。
 誰かに任せきり、意見を言い放つだけ、民主主義にも様々な問題や課題ががあり、それを皆で自覚しなければならない、不完全なものであり、自分よがりな考え方では社会はうまくいかない、人は焦りや不安から、ヒーローを求むがばさばさ倒すだけの、切り捨てる系ヒーローは求めていない。課題があり、誰かにすがり解決していくのではなく、自分の意見や考えをもち自分たちで決めることが重要であり大切なことだと学んだ。私たちが主権者であり、同時にヒーローである。そしてできることをしていくとその積み重ねで社会がその分よくなることを学んだ。
 読んで、今の政治や社会についての在り方、文句など普段の生活の中での考え方を少し変えたい。自分の中で軸は変えず、より柔軟に。自分の考え方などを見つめなおすきっかけにもなる。そんな本であった。(865)
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C1211622 田代朱音さん (8ezcgrzd)2022/8/3 20:30削除
すみません。タイトルの記載を忘れ、投稿を削除する時のパスワードの設定をしわすれ投稿削除して再登校するのができなかったので
たため、コメントに記載します。
「ヒーローとは?民主主義の現状と課題」
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C1210634 小野寺緋彩さん (8ezcrwkb)2022/8/3 20:27 (No.494302)削除
不倫との向き合い方 ――坂爪真吾『はじめての不倫学 「社会問題」として考える』(光文社新書、2015年)
 この書籍の著者は、一般社団法人ホワイトハンズ代表理事の坂爪真吾さんだ。坂爪さんは、新しい「性の公共」をつくる、という理念の下、重度身体障害者に対する射精解除サービスや性風俗産業の社会化を目指す「セックスワークサミット」の開催などから現代の性問題の解決に取り組んでいる。
 本書では、現代における不倫を社会問題として捉え、解決するにはどうするべきか著者なりの考え方が書かれている。著者は、不倫をインフルエンザなどのウイルスのようなものとし、不倫ワクチンを開発することで不倫により不幸になる人を減らせると考えている。
 著者が挙げた不倫ワクチンとして、ポリアモリーというライフスタイルがある。ポリアモリーとは、「責任をもって、同時に複数の相手と恋愛関係を結ぶこと」を意味する。ポリアモリーに似た意味を持つスワッピングとの違いは、優先順位である。相手に感情移入をせず、セックスを目的としているスワッピングに対し、相手に対する友情や愛情、尊敬の念を求められるポリアモリーは、自分や相手の気持ちに真摯に向き合うことが求められる。日本においてポリアモリーのコミュニティはまだ少ない。アメリカでは、ポリアモリー同士の家族=ポリファミリーをつくり、協力しながら生きている人も少なくない。このような人々がいながらもアメリカではポリアモリーはまだまだマイノリティである。当然ながら日本でもポリアモリーはマイノリティであり、今後、どのように展開するのかはまだ予測できないという実情がある。
 このように、坂爪さんは不倫ワクチンとして、不倫をしてしまうことを受け入れ、生活を豊かにすることを提案している。私は、このような型にとらわれない視点から不倫という問題を解決しようとするのは面白い試みだと感じた。反面、複数の異性と関係を持つことに厳しい声が挙がる現代日本でポリアモリーの考え方を拡散、定着させるにはあまりにもハードルが高いように思えた。(803字)
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C1210545 岡崎輝星さん (8ezbnsiu)2022/8/3 19:56 (No.494240)削除
渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ~筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち~』株式会社 文藝春秋 2013年
 この本の著者である渡辺一史さんは社会に存在するあらゆる問題に対して、自分の身を持って経験し、話を聞き、本を書くようなとても熱いライターである。実際に書いている本としては、『障害』『福祉』についてテーマとしている本作品、『なぜ人と人は助け合うのか』や、『北の無人駅から』といった地域コミュニティーの衰退に関する本などを出版してる。取材をしにいくにも全部自腹でやっている点や、自分の関心をしっかりと深めている点から、真剣に社会問題と向き合っているような人であるといえるだろう。
 次に本の内容からNPOとしての取り組みについてみていく。この本の物語はノンフィクションであり、実際に存在していた人の話である。その人の名前は、鹿野靖明である。鹿野さんは、筋ジストロフィーという難病が発症し、人工呼吸器をつけないと生活できなかったりと1人では生活できない状況を強いられてしまう。鹿野さんは、そんな自分を見たときに、『鎖に繋がれた犬だ』と思い、入院生活から脱する退院を魔坐すことにするが、自分のみでは生きていけないのが現実である。そんな中で助けとなるのが鹿ボラの存在である。そしてこの鹿ボラがNPOの一つであるといえる。鹿ボラは、鹿野さんを支えたいという思いであったり、鹿野さんのボランティアを通して生きることを学んだりといった様々な目的を持った人が集まっている。このような姿を見たときに、ボランティアの目的意識というのは多様で良いのだと思えた。目的は違えど鹿野さんを支えたいという思いは違いがない。NPOというものも同じように考えることができて、目的は揃わなくても結果としていいものが得られるのであれば、それでいいのかなと思えた。
 NPOというのは、外側の活動ばかりに目がいってしまい、内側を見ることが難しい。実際は、目的が違っている人もいるし、多様なものである。難しいことではなく、誰もが自分の意志さえ持っていれば、行っていいのではないかと思えた。とてもいい学びになった。(833文字)
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C1202557 角田康太さん (8ez909iv)2022/8/3 18:41 (No.494134)削除
無業社会 働くことができない若者たちの未来 (朝日新書 2014年)

 本書では、誰もが無業者になりうる可能性があるにもかかわらず、無業状態から抜け出しにくい社会を無業社会と呼んでいる。20世紀の終わり頃から、ニートフリーター、引きこもりといった今では常套句となってしまった言葉を用いて、「怠惰な若者たち」の存在が繰り返し報道されてきた。その結果、「若年無業者は、自分とは全く無関係で、批判されえるべき存在である」という認識が広く普及してしまっている。これに対し、筆者は当事者の自己責任と非難したところで、日本国民である限り、社会保障などを通じて、無関係ではないと指摘した。そして世代間の対立を超克して、具体的に解決に取り組むことが合理的であると主張している。しかし、それらの実現を阻んでいるのが、未だに色濃く残存する日本型の社会システムと、若年無業者に対する誤った認識である。
 筆者らが実施した調査では、若年無業者の75.5%が何らかの就労経験があった。無業者ではない人々とそう変わらないキャリアを積んできた人が数多く存在する。ではなぜ無業状態となっているのか、それは日本は一度社会からこぼれ落ちると、再び参入することが難しい社会となっているからである。「日本的経営」には、新卒一括採用、終身雇用型賃金、年功序列型賃金のような、一つの組織に人材を長期間定着させるといった特徴がある。さらに、日本は企業社会で生存していくための、ノウハウやスキルを提供する機会を企業に委ねているため「日本型システム」にいったん参加しそびれたり、抜け出してしまったりすると、激烈な競争環境や不利な立場に立たされてしまう状況と構造がある。日本の社会システムでは、労働市場からこぼれ落ちることと、社会からこぼれ落ちることがほぼ同義となっている。今の社会状況の中で構成されている日本のセーフティネットが機能不全を起こしていることは間違いない。すでに現実で労働市場や、雇用習慣が変化しつつあるのだから、前時代の社会的、政治的諸条件に立脚して設計された支援システムに、根本的な見直しが必要である。(841文字)
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c1210568 奥泉翔さん (8ez8qn8j)2022/8/3 18:34 (No.494121)削除
「子どもの貧困を社会で考える」――湯浅誠『「なんとかする」子どもの貧困』(角川新書、2017年) 評

 本書では、様々なバックグラウンドを持ちながら、同じ「子ども達の貧困」という課題を解決すべく活動している人や自治体を紹介している。筆者はこれまで社会活動家として年越し派遣村に関わり、近年は大学を拠点に全国の子ども食堂を支援するなど貧困問題に携わってきた。誰が悪いでもない。これまでの社会が捉えてきた貧困に対して新たな視点を提示してくれている。
 本書では、子ども食堂の名付け親である八百屋「だんだん」が紹介されている。活動の原点であるからこそ、子ども食堂が子どもだけでなく、大人も含めた地域を引っ張る場所に発展していくために何をすべきかを知ることができる。対象とする目的や人に応じて役割を分類することで支援全体の足りない部分を補うような働きかけをすることができるという。
 また、行政の実践例にも触れることができる。例えば兵庫県明石市では行政が貧困家庭に注目するのではなく、すべての子ども達を保障することをねらいにしている。限られた財源の中で余計な業務を減らすなど、教育や子育てに力を入れることで、子どもを中心としたまちづくりを伺うことができる。
 数多ある貧困問題の中で、ここに書かれている事例は、子ども達に普通でありふれた居場所を提供するために何ができるか私たちに投げかけている。お金が無くてやりたいことができない、周りと少し違っていて変な目で見られる、みんなで鍋をつつけないこと。貧困の連鎖は止めることができる。そのためには私たち自身の手で社会を作り直していく必要があると筆者は述べている。
 例えば「ナナメの関係」がある。子どもや若者の助言者としていろいろと面倒を見てくれる存在だ。それは家族や学校に限らず、地域やその他様々な場所にいたほうがよいのか。むしろそういった人や場所を通して勉強や食事、人との交流ができたり、子ども達のわくわくすることを増やしてあげたりすることが大事になってくる。小さくとも1ミリでも進めることで子ども達の未来を作ることができる。(869文字)
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c1211869 福田羽菜さん (8ez7t5ny)2022/8/3 18:08 (No.494094)削除
湯浅誠 『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』岩波新書(2008)
 日本では、様々な背景から貧困生活を余儀なくされている人が多く、むしろお金に困っていないという人の方が少ない社会になっていると感じている。この本では、貧困生活を強いられてきている人たちが、社会からも突き放され、上手く馴染めず、孤立化しているように感じ取れる話がいくつも出てくる。社会はその人たちに対して、手を差し伸べようとはせず、国すらも日本の貧困はたいしたことではないというようにみていた。確かに、世界を基準にしてみれば、日本の現状よりもひどい生活をしている国はたくさんあるし、飢餓で亡くなる人や、栄養不足が原因で平均寿命が長くない国もある。政府はそのような国々と日本を比較しているために、自国の貧困問題に目を向けないのである。なんとかして生活しようと行政に生活保護を申請しに行くが「水際作戦」で追い返され、必要のない人に支給される「濫給」と必要なのに支給されない「漏給」の問題が深刻になっている。
うっかり足を滑らせたら、どこにも引っかかることなく、最後まで滑り落ちてしまうような社会を、筆者は「すべり台社会」と呼んでいる。そこに落ちてしまう人たちを救うべく、筆者をはじめとする「もやい」と呼ばれる団体は、行政からの水際作戦に遭った人たちの相談を受け、申請に同行することや、貧困や家庭環境に問題がある人、人間関係がうまく築けない事によって居場所がないと感じている人に「自分が置かれている状況を隠さなくてもいい」ような居場所を提供する活動を行っている。
政府に貧困問題の深刻さを認識させることが、「すべり台社会」から脱出することにつながると筆者たちは考えている。そのために、活動を通して仲間を集め、現状を把握し、政府や社会に対して声を上げる。地道な活動に思えるかもしれないが、多くの人に認識してもらうにはこういった活動を続けていくしかないのかもしれない。(775)
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c1210367 梅津祐希さん (8ez7nh92)2022/8/3 18:03 (No.494087)削除
ボランティアと情報の関わり 
c1210367 梅津 祐希
金子郁容 『ボランティア もうひとつの情報社会』(岩波新書)1992

この本は今から30年ほど前に発刊された本で、現代ではボランティア活動を行うことにおいてインターネットやSNSに広告をのせて参加者を募集したり、参加者同士のコミュニケーションを図るのにはスマートフォンなどの情報端末が欠かせないという子がわかるが、この本の著者は現代ほどインターネットが手軽なものではなかった30年前にボランティアとインターネットや情報が深くかかわっていることについて書いていてまるで30年後の世界を予想していたかのようですごいと思った。自発性パラドックスやバラネラブルなどボランティアをするとどうゆう心理状態になるか、自身の経験談を含めて書いていて、著者がボランティア活動での心理的な動きについても考えていることが分かる30年ほど前ということもあり、現代のように美化活動などの子供から手軽にはじめられる活動ではなく、介護系の話やソフトウェアの話など参加するのが難しそうなボランティア活動の話が多く、ボランティア活動に参加することがハードルが高いことだったことがわかる。介護のボランティア活動ではライフケアシステムの佐藤智氏の取り組みである24時間対応の訪問介護が紹介されていた。この話のなかで利用者と介護する側の連絡、介護する側同氏の連絡手段にはポケベルを使っていたと書いてあり、現代ではスマホや携帯電話が普及しているので簡単に連絡を取り合うことができたが、30年前ではポケベルを使わないと連絡が取れなかったことがわかる。このことから、情報機器、インターネットの発達によりボランティア活動が広まっていき、またボランティアする人同士の連絡が簡単になっていったので、わからないことがあったらすぐ聞けたり、指示を送りやすくなったことがわかる。(723文字)
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c120707 金田珠輝さん (8ez0l82k)2022/8/3 14:46 (No.493890)削除
「溜め」のある状況をどのようにつくるかー-仁藤夢乃『難民高校生 絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル』(筑摩書房、2016)

著者の仁藤夢乃さんは、所謂「難民高校生」で高校生の頃は月25日を渋谷で過ごしていた。高校中退後、高認予備校の農園ゼミの講師であった阿蘇さんとの出会いからボランティア活動を始め、震災後には一般社団法人を設立する。
 本書内で彼女は、貧困について社会活動家の湯浅誠氏の言葉を用いて、「溜め」がない状態である、と説明している。著者自身も自身が変われたきっかけには、「人間関係の溜め」や「精神的な溜め」を手に入れることができたからだと語る。こうした自身の経験から、震災後、被災地にて一般社団法人「colabo」を設立し、宮城県女川高等学校の生徒、大沼製菓と共に、「支援金付商品のColabo開発プロジェクト」を行う。
 女川高校は県内でも有名な「ヤンキー校」で、女川高校を第一志望として入学してくる生徒はすくなく、劣等感を持っている生徒も多かったが、活動を通して女川高生は、町の人たちの希望となり、高校に対するイメ―ジも少しずつ変わり始めたそうだ。このことから、著者は、こうした活動が彼女たちにとっての「溜め」になってもらえたらと語っている。
 最後に記している大人にしてほしい3つのことの1つに、「個人として向き合う」と記してある。渋谷にいる高校生たちを、「最近の若者」や「渋谷のギャル」とひとくくりにするのではなく、1人1人名前のある高校生として向き合ってほしいという内容だ。
 本書では、著者自身が一緒に過ごしていた”難民高校生”1人1人の名前を出しそれぞれのエピソードを書いている。被災地の高校生について書く際にも1人1人の名前とエピソードを書いている。彼ら彼女らのエピソードを見るとそれぞれに背景があり、自己責任だとは言えなくなる。そういった背景に目を向ける感覚を持ってほしいと著者は語っている。
 難民高校生1人1人の背景を知ることで自分や自分の子どもにも起こりうることだと身近に感じる本だ。
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c1200707 金田珠輝さん (8ez0l82k)2022/8/3 17:53削除
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c1192681 海谷一彰さん (8ez6fx71)2022/8/3 17:30 (No.494049)削除
藤田孝典『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』(講談社現代新書、2016)
 著者の藤田孝典は埼玉県在住の社会福祉士で、NPO法人ほっとプラスの代表理事や聖学院大学人間福祉学部客員准教であるなどを行っている。彼は、社会問題の解決に取り組み、多くの人に、本書をきっかけにして、貧困世代の問題を大きな社会問題として認識してもらいたいという望みがある。これらのことから社会問題に強く関心があり、社会を変えたいと考えている意思を持った人と考える事が出来る。
 2015年には『下流老人-一億総老後崩壊の衝撃』を刊行し、高齢者の貧困の実態に迫っている。その中で、高齢者の生活状況の悪化よりも、若者の方がより悪化するという結論を出している。実際に、若者たちを取り巻く生活環境は急速に悪化している。非正規雇用の拡大、ブラック企業の存在が、高い自殺率や少子化などを引き起こし、厳しい現状を迎えていると言わざるを得ない。今までのごく普通に働くことで、ごく普通の暮らしが享受できる「一億総中流社会」は現代では崩壊し、若者は生涯平社員でいることすら難しくなっている。若者は貧困世代と考えられ、「社会的弱者の地位」を確立してしまった。ならばそのような若者世代の貧困を解消するために、どのようなことを著者は提案しているのだろうか。
 著者は未来ある若者に対して、若者支援として就労支援をした後も、貧困状況は抜本的には解決しないと考えている。そのため彼らには先行投資が必要だと強く訴えている。早めの教育や職業訓練、医療や居場所を提供して投資をすべきだと考えている。働いても貧困である可能性を提示し、就労支援が貧困を温存しているという表現を使っており、若者を支援するツールを強固に、また労働市場の受け入れ状況も拡大させる必要があると述べている。
このような現状を解決するための鍵の一つが労働組合の復権であると述べる。労働組合であれば、劣化していく労働環境を変えるための組織が存在し、年間1500件の相談から弁護士やNPOと協働して相談支援に取り組むことができる。法的な措置という絶対的な仕組みで若者を守ることができるのである。(844字)
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