NPO・NGOの現場からうまれた文献のbook review

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C121212A柳田朋花さん (8ezg0vzt)2022/8/3 22:16 (No.494459)削除
ストーカーの危険性――小早川明子『「ストーカー」は何を考えているか』(新潮新書・2014年)
まず筆者の小早川明子はNPO法人「ヒューマニティー」でストーカー問題を始めとして加害者と被害者どちらとも向き合いカウンセリングを行っている。
世間ではストーカーが殺人につながると捉えられている。しかし意外にも警察に認知されているストーカーの中で、殺人や傷害などの重大犯罪を起こす人たちは全体の1.7%だ。小早川さんが出会ってきた患者たちも口では「殺す」、「死んでほしい」などというが、実際には殺してあげたいほど苦しいという気持ちを吐露しているだけに過ぎないと述べた。
次にストーカーの心理レベルについてである。1リスク、2デインジャー、3ポイズンの順に高くなっている。この時大切なのはレベルが上がった時に、そのままの対応を心がけるということである。油断して対応を緩めるとトラブルにも繋がりかねないし、実際逗子ストーカー殺人事件で殺人が起きるという出来事も起きた。この事件は危険性についてきちんと理解せず警察が対応と連携が取れていなかった問題点が改めて浮き彫りになった。
そして驚いたことは小早川のもとへ加害者からも連絡が来ることである。私は加害者の多くが周りを見えずに、自分が正しいと突っ走る人が多いと勘違いしていた。しかしそうではない方も多いと知った。どうすればいいかわからない、ストーカー行為をやめたいなど苦しみながら電話をかけている方も大勢いるそうだ。特に多いのは3のポイズンに当てはまる人たちだ。このままではいけない、なんとかしないと葛藤し苦しむ人が大勢いる。本を読んで気づいたことは、ストーカー問題は被害者、加害者一方の相談を聞くだけではなくどちらの意見も聞いて対策講じていくことが重要なのではないかということだ。世間では加害者とかかわり対応をするカウンセリングが少ない。小早川自体自分のやり方が正しいとは思ってはいないが、自身が体験した際は誰でもいいから気持ちを聞いて味方になってほしいと思っていたため、同じような方を救ってきたことには間違いがないと述べている。私は小早川自身の体験が被害者、加害者の寄り添える軸となっているのではないかと考えた。(872文字)
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C1210539 大森颯真さん (8ewolk2u)2022/8/3 22:15 (No.494458)削除
生きることの大切さ――西野博之『居場所のちから 生きてるだけですごいんだ』(教育史料出版会、2006)

 著者の西野博之さんは、「居場所ってなに、わたしの居場所ってどこだろう」と自問する声にしばしば出会うようになる。また西野さんは子育てに悩み、ヒントを探しているなかで、「子どもの居場所、親の居場所」に関心をもつようになる。そして「居場所」について語ってほしいという要望も数多く寄せられるようになる、それから本を発売した。
 新しく学校生活を迎える小学校一年生の男の子に出会い、この男の子との出会いなどをきっかけに小さな居場所づくり(移動型)が始まりました。しかし、毎日集会場所が変わることで「1日中過ごせる場所がほしい」「誰といてどんなことを語りあう方が大事」という声が集まり「たまりば」がオープンするきっかけとなる。「たまりば」がスタートした。
 私は、この本を読み居場所を欲しがっている方々は想像以上に多く存在していたということを知りました。しかし、居場所づくりには、家主の理解や周囲の理解が重要になり居場所づくりは簡単ではないことを知り、そんな中で著者は居場所を探し求め、田植えやキャンプ、たまりばフェスティバルといった様々な人間関係を築けるイベントに出会う。川あそびやダンス、ゲームを汗を流しながら遊んでいる子どもたち、そんな子どもたちの楽しさが伝わってきます。
 この本は、本のタイトルにあるように「生きているだけですごいんだ」ということが感じられる本でした。「生きてさえくれればいいんだ」このことこそ、子どもたちの現場からそして大人が発信したいことであり、何億分の一というごくわずかな確率でこの世に生を受けたこと、そして今を生きていること、それだけでも十分であり素晴らしいんだと感じられました。「他人からの期待」に合わせて生きることはもったいないという言葉が述べられている。期待に応えたい気持ちを深く理解できるがその期待に応えようは自らの首を絞めているも同然のように感じました。そして、私が今こうして生きておりこの「当たり前に生きているという奇跡」に感謝し、生きることについてそして身の回りの大切な人たちに感謝していこうと考えさせられる本でした。(875字)
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C1210137 五十嵐直人さん (8ezft5ol)2022/8/3 21:52 (No.494435)削除
「助ける側が助けられる側に」ー-渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』株式会社 文藝春秋 2013年

本書は「進行性筋ジストロフィー」という全身の筋力が徐々に衰えていく難病を患っている鹿野靖明と、それを支えるボランティア達との様子を綴ったノンフィクション作品であった。本書の著者であるノンフィクション作家、渡辺一史 は本書でデビューを果たした。
 本書を読んでいてはじめに思ったことは、「わがままな人だな」、「どうしてこの人がこんなににも支えられているんだ」ということだった。しかし読み進めていくと鹿野さんのまっすぐな言葉に動かされている、支えられているボランティアの人たちが多く存在を知っていくこととなった。本書のテーマ、取り上げられている社会問題は「障碍者問題」であると感じた。その他にも介護なども当てはまってくると思った。本書を読んでいると「ボランティアがここまでできるのか」と思うことが多々あった。一人の障がい者に対して何十人ものボランティアがついている。ボランティアは生活のサポートはもちろんのこと、要望やわがままにも対応していた。一見すると振り回されているばかりに見え、無償で手助けをする理由は見当たらなかった。しかし、彼らは鹿野さんを助け続けた。そこには、ボランティアの本質ともとれる精神が詰まっていた。誰かが困っていたら放っておかず、すぐに駆け付ける。それは、見返りを求めない無償のものとして、相手を思い行動するボランティアの本質であった(公益ともとれる)。彼らは鹿野さんの幸福を自分たちの幸福としていたのだった。鹿野さんは助けられながらも「自立」しているように思えた。自分の力では思ったことができず、行きたいところに気軽に行くこともできない。しかし彼は自己決定を行い、助けを待つのではなく自ら助けを求めていた、これも一種の自立ともとれるだろう。
 人間はもとより一人で行くことは出来ない。誰かを助け、そして助けられながら生きている。この本からは立場の違う人間がお互いの人格を尊重しながら助け合っていた。この本を手に取り、「助ける」ということの意味を知ってもらいたい。 (836文字)
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c1200541 奥山雪乃さん (8ezfspev)2022/8/3 21:51 (No.494434)削除
中村安希「N女の研究」フィルムアート社2016年

この本の著者は、ノンフィクション作家の中村安希さんである。
中村安希さんは友人の非営利業界への転職をきっかけに「N女の研究」を始めた。取材ターゲットは、ハイスペックなキャリアウーマンで、有名企業などへ就職できる実力を持ちながら、あえてNPO法人や社会的企業などのソーシャルセクターを職場に選んだ女性たち「N女」である。インタビューし、1人の働く女性としての「人となり」に近づくことを目的としたプロジェクトである。中村さんは彼女たちの視点を通して、現代の職業選択の在り方や女性の働き方を見つめ直し、背景にある社会の実情について考察していく。
N女を追いかけ、インタビューしてきた中でN女の特徴をふたつあげられていた。「行政を当てにしない」という姿勢。「きれいごとを言わない」という性質である。
「行政を当てにしない」について、N女達は正当な報酬を主張するキャリアウーマンたちである。彼女達の年収は十分とはいえず、活動資金の確保は常に課題となっているがそれでもN女たちは「経営が苦しいのは補助金が少ないからだ」と言わなかった。現代のN女たちはできるだけ補助金に頼らず自力で集めたいと言う。一例として病院保育問題に取り組むNPO法人「ノーベル」の吉田さんを挙げる。吉田さんたちは病院保育問題について固定費の削減に成功したが、安全性が求められる分野に行政からの指導や規制がなかったことに中村さんは驚いた。吉田さんたちは「補助金に頼らない「自立型」で行政のお金を当てにしないからこそ規制されなかった」と言った。行政は吉田さんたちの活動に口出ししなかっただけでなく活動に賛同するようになり、歩み寄ってきた。「行政をあてにはしないが、協働はする。」この点がN女たちに共通している。
もう1つの「きれいごとを言わない」ことについてN女たちが「きれいごと」を言わなかった背景には「当事者性」がある。きれいごとという覆いを被せて目を背けているだけではどうにもならないことをN女は理解している。誰かの問題ではなくわたしの問題。当事者性を背負った世代が生み出した新しい芽が「N女」である。(878)
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c1210663 柿崎百花さん (8ezfoaqx)2022/8/3 21:48 (No.494428)削除
キャリアウーマンとNPO・NGO ―(中村安希『 N女の研究 』株式会社フィルムアート社、2016年)

最初に説明するとN女とは、NPO・NGOで働く女性たちのことを指す。
ノンフィクション作家であるこの本の著者の中村安希さんは、自身の友人がNPO・NGOの業界に飛び込んでいく姿をみてこの本の執筆をはじめた。調べてみたところ、普段はグルメに関することなどといった、NPO・NGOの業界に取材をする人ではなかった。また、現代社会、NPO・NGOで働く女性は珍しいことではない、また自分の友人が新たな業界に入ったことになぜわざわざ焦点を当てたのか。理由は、その彼女(著者の友人)の特徴にあった。
彼女は、東京の大企業でバリバリ働くキャリアウーマンだった。有能なため、会社からでるお給料や待遇もとても良かった。学生時代はお金持ちになって、プール付きの家に住むといったことを目標にしているような女性だった。しかし彼女は、そのキャリアと地位、お給料や待遇に恵まれていた世界を飛び出し、正直お給料や待遇に不安が多いNPO・NGOの世界に飛び込むことを決めた。本書にある言葉を借りるなら、プール付きの豪邸で豪華な食事をすることを目標にしていた女性が「毎日納豆ごはんを食べる生活」を望んでしに行くようなものだ。
著者はそうした、「ハイスペックで一般の民間企業に勤めたなら優雅に暮らせるのに!」というような女性たちに取材をし、この本にしたためた。
結論をいうと、彼女たちは一生を所属している団体に定年までささげようとはしていなかった。キャリアウーマンらしい、自分の成し遂げたいことをミッションに持っていた。言うなれば、団体のミッション達成のために生きるのではなく、その自分の達成したい社会問題のミッションに地に足をつけ行動していた。やはり、NPO・NGOの業界に付きまとう資金の問題には苦労していたが、彼女たちは確かに自分のキャリアとして、人生としてあNPO・NGOの世界で今日も生きている。(754文字)
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C1202215 本間 麻泉さん (8ezemq84)2022/8/3 21:19 (No.494384)削除
本書の著者の一人である山本葉子さんは、特定非営利活動法人(NPO法人)東京キャットガーディアンという団体名で、飼い主のいない猫の避難所と譲渡会を兼ねる猫カフェ型の開放シェルターを開設し、行き場を失った猫たちに新しい家族を見つける活動に取り組んでいる。また、共著書である松村徹さんは、不動産マーケットの分析や不動産投資研究が専門であるが、東京キャットガーディアンから譲り受けた猫を飼い始めてからペットと住まいの在り方について関心を持つようになったという。
現在、犬や猫は私達の生活に欠かせない存在になっており、家族の一員として扱われるようになっている。最近では、人の所有物扱いの印象もある「ペット」という言い方ではなく、「人生のパートナー(伴侶動物)」という言葉を使う人もいる。しかし、その家族の一員となったはずの犬や猫が、行政によって毎年十万頭以上も殺処分されているという「不都合な真実」がある。行政の保護施設における犬・猫の引き取り数と殺処分数は減少傾向で、返還・譲渡件数は増加、返還・譲渡率は上昇傾向にある。しかし、人間の身勝手から年間十三万頭の犬と猫が殺処分されている事態は、見逃すことのできない立派な社会問題である。本書では、このような社会問題を扱っている。
 東京キャットガーディアンは猫の殺処分ゼロを目標にした保護活動にビジネスと同じ手法で取り組み、猫カフェ型の開放型シェルターや「猫付きマンション」「猫付きシェアハウス」の仕組みを日本で初めて考案し、普及に努めている。その他にも、里親の不安を和らげるために「母子手帳」ならぬ「愛猫手帳」の交付、猫に関するどんな問題も二十四時間年中無休で受け付ける「ねこねこ110番」の設置、NPO法人の保護団体として日本で始めてペット保険の代理店業務を引き受けている。このように、飼い主のいない猫たちの「居場所づくり」に努めている。
 本当に猫たち(動物)が幸せかどうかは私達には分からない。だからといって、動物に関する問題から目を背けてはいけない。人間と動物がお互い信頼できる関係性を築いていくことが重要だと考える。(873)
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C1202215 本間 麻泉さん (8ezemq84)2022/8/3 21:44削除
タイトルの記載をせずに投稿してしまったのですが、投稿を削除する際のパスワードの設定を忘れてしまい削除が出来ないため、返信の方に投稿させていただきます。申し訳ございません。

ペットも家族の一員――山本葉子・松村徹『猫を助ける仕事 保護猫カフェ、猫付きシェアハウス』(光文社、2015年)

本書の著者の一人である山本葉子氏は、特定非営利活動法人(NPO法人)東京キャットガーディアンという団体名で、飼い主のいない猫の避難所と譲渡会を兼ねる猫カフェ型の開放シェルターを開設し、行き場を失った猫たちに新しい家族を見つける活動に取り組んでいる。また、共著書である松村徹氏は、不動産マーケットの分析や不動産投資研究が専門であるが、東京キャットガーディアンから譲り受けた猫を飼い始めてからペットと住まいの在り方について関心を持つようになったという。

現在、犬や猫は私達の生活に欠かせない存在になっており、家族の一員として扱われるようになっている。最近では、人の所有物扱いの印象もある「ペット」という言い方ではなく、「人生のパートナー(伴侶動物)」という言葉を使う人もいる。しかし、その家族の一員となったはずの犬や猫が、行政によって毎年十万頭以上も殺処分されているという「不都合な真実」がある。行政の保護施設における犬・猫の引き取り数と殺処分数は減少傾向で、返還・譲渡件数は増加、返還・譲渡率は上昇傾向にある。しかし、人間の身勝手から年間十三万頭の犬と猫が殺処分されている事態は、見逃すことのできない立派な社会問題である。本書では、このような社会問題を扱っている。

東京キャットガーディアンは猫の殺処分ゼロを目標にした保護活動にビジネスと同じ手法で取り組み、猫カフェ型の開放型シェルターや「猫付きマンション」「猫付きシェアハウス」の仕組みを日本で初めて考案し、普及に努めている。その他にも、里親の不安を和らげるために「母子手帳」ならぬ「愛猫手帳」の交付、猫に関するどんな問題も二十四時間年中無休で受け付ける「ねこねこ110番」の設置等、飼い主のいない猫たちの「居場所づくり」に努めている。

本当に猫たちが幸せかどうかは私達には分からない。だからといって、動物に関する問題から目を背けてはいけない。人間と動物がお互い信頼できる関係性を築いていくことが重要だと考える。(877)
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C1210775 菊地 太陽さん (8ezdo40g)2022/8/3 21:33 (No.494404)削除
"なぜ引きこもりが生まれるのか"
五十田 猛 『ひきこもり当事者と家族の出口』(寺子屋新書 2006 1.30)

この本の著者である五十田 猛はひきこもりになるパターンを3つほどに分け、どのようにしてひきこもりとその家族が形成されていくのかを考察している。また、五十田 猛はそのような考察を踏まえた上で、不登校センターを設立して得た引きこもりや不登校を経験した人の体験談を通して結論を出している。
先程あげた引きこもりになるパターンとして挙げられたのは「否定され責め続けられた人」「過剰とも言える保護の元に置かれた人」「幼少期から少年期にかけて虐待や強烈ないじめを受けた人」の3つである。最初にあげた、否定され責め続けられる人は自己否定感が強くなった人は自分を肯定するためにひきこもるようになった人である。これは環境に強く影響を受けた場合に起きやすいことである。次にあげた、過剰とも言える保護の元に置かれた人は、保護を受けすぎた結果、より受け身になっていき、独立して自分のペースを掴むために引きこもるようになった人である。最後にあげた、幼少期から少年期にかけて虐待や強烈ないじめを受けた人は、精神的に不安定になったり、対人恐怖症などで引きこもりになった人である。そのうち、自己否定感が強くなった人と受け身になってしまった人は、精神的エネルギーの状態が未成熟で不完全になっている。また、いじめや虐待を受けた人は、精神的エネルギーの状態が故障してしまっているのが特徴となっている。つまり、その人が育ってきた環境の中に原因はあり、その原因には家庭の問題や学校など、人格が形成途中である小さい時期が関わっているということである。このような特徴などを不登校センター等で情報収集、分析を行い、同じ境遇の不登校児や引きこもりの人への対策を行う活動をしている。この活動は不登校児の減少や引きこもりになってしまった人の人生をより良い方向にするために役立っている。
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c1211148 佐藤風花さん (8ezf43km)2022/8/3 21:32 (No.494403)削除
さまざまな人と働くためにーー成澤俊輔『大丈夫、働けます。』(ポプラ社、2018)

 この本の著者である成澤さんは、だんだんと視力を失う網膜色素変性症であり、「世界一明るい障がい者」と名乗っており、現在は光をボヤッと感じられるくらいの視力である。成澤さんは、「FDA」NPO法人の理事長をしている。FDAとは「フューチャー・ドリーム・アーチムーブメント」の略であり、「将来の夢の達成」を大事にしている。仕事に内容としては、就労困難者の就職のお手伝いをしており、一緒にその人自身の強みを探し、仕事や社会生活のトレーニング、企業での実習をサポートなどをしている。
 今の日本には、何らかの理由で働くことができない人や障がいを持っている人など、さまざまな人がいる。そのような人でも、「つながりたい」という強い気持ちがあることで必ずその人に合った仕事があるだろう。働きたくても、思うように働くことのできないという人が、日本には3000万人以上いると言われている。現在の日本は、昔と比べると就労困難者にとって優しいものになっきているが、どの企業もそうなわけではない。そのため、今が個人も企業も社会全体も変わる機会であると言えるだろう。
 FDAは大きく分けて2つの活動をしている。1つ目に、就労困難者の強みを探し、長く働き続けられる職場とつなげること。2つ目に、働くことだけでなく、利用者の人生そのものが豊かになるためのお手伝いである。生活リズムをつくるなど、社会復帰のトレーニングなどもおこなっている。そして障がいのある人と働くために、まずは障がいのある人についてよく知り、理解することが大切になる。もし体調不良に陥ってしまっても、そんな自分を受け入れること、また、それを会社も理解し、「休んでいいよ」と言ってくれることで働きやすい場となる。それを考え、再就職先を探し、事情を伝えて丁寧につなげていくのがFDAのやり方である。
 障がいのある人と働くことが当たり前になることや「人が企業に合わせる」のではなく、「企業が人に合わせる」ということが今後必要になり大切になっていくのではないだろうか。
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c1212308 渡邉 陸さん (8ezeqvcz)2022/8/3 21:22 (No.494388)削除
二神能基『「子供のために」を疑う』朝日新聞出版 2009年

著者は早稲田大学政治経済学部を卒業後、愛知県で中学受験塾や幼稚園経営などを経て、99年にはニート支援のNPO法人「ニュースタート事務局」を千葉県に設立した人物である。40年にわたって支援に携わってきた親子は4000組を超えている。著書には、『希望のニート』『暴力は親に向かう』などがある。この本は、主に10代の子供を持つ親を対象に、これまでの経験から著者の考える「子供を伸ばす7つの知恵」を説明している。プロローグでは、財団法人「日本青年研究所」が行った調査の結果に基づき、日本の中高生の自己評価について触れている。ここで、自分がダメな人間だと思っている中高生が最も多い国が日本であり、これからを担っていく子供たちがこうなってしまっているのは深刻な社会問題だと主張している。そして、子供を「伸ばす」のに必要なのは学力をつけさせることではなく、抽象的能力、具体的能力、社会的能力の3つの力であるとしている。本文の内容は、子供との向き合い方だけではなく、『親「以外」の人生も楽しんでますか?』といったような、親の生活にも触れている。著者や著者の所属するNPO団体が、親に対して「子供さんのことは任せて自分の生活を楽しんで」という活動を行っていることも記してある。NPO団体は問題の主体となる子供だけではなく、見落とされがちな親の問題にも目を向けている。このことから、子育てにばかり意識を向けていることはかえって子供を追い込んでしまうことが明らかになっている。それに加え、親が子供にとっての壁や、プレッシャーになっていることがわかる。また、「3歳までは王様のように大切に、7歳から12歳までは召使いのように(略)育てる。」という格言も用いながら子育てにおける子供との向き合い方の変化についても解説していて、このように、日本に足りていない知恵、逆に海外における、日本が見習うべき子育てのやり方も載せている。(786文字)
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C1211326 鈴木冴香さん (8ezdmi12)2022/8/3 20:51 (No.494337)削除
最近の若者は、って何?―― 仁藤夢乃 『難民高校生 絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル』(ちくま文庫, 2016)
 この本は大きく2部編成になっていて、前半は当時の仁藤さんが見てきた社会について、後半は様々な経験から活動していく様子やこれからの若者への思いが綴られている。
 この本の著者である仁藤夢乃さんはかつて、家族との関係の悪さや自分の居場所の見つからなさから家に帰らずほとんどを渋谷で過ごす、いわゆる“難民高校生”であった。そこから高校中退という選択、阿蘇さんとの出会いや農園ゼミの参加などを通して成長していく過程が書かれている。自分の中で不自由なく生きてこられたと思う人は本当の話なのかと疑問に思うかもしれない。居場所を求めた援助交際、誰の子かわからない妊娠や中絶など、ここに書かれていることは紛れもない現実なのである。そのようなリアルが生々しく描写される。
 「最近の若者はダメだな」という言葉をよく聞くが本当に若者がダメなのかについても著者は考えていた。「大人は」「若者は」と区別する人はよくいるが、その言葉を言えるほど関わりを持てているのか?著者は「ダメな子だ」と言われ頼りどころを失い、社会からの認識が薄れることで希望や可能性も失って簡単に難民高校生になれてしまうのだと著している。くくりではなく一人ひとりを見てほしいという思いも込められていた。
 著者は震災後に「Colabo」を結成する。女川高等学校の生徒と大沼製菓ともに「地域を元気にする商品開発」を行った。また、震災復興だけでは終わらず、自身の経験から当時のような居場所のない人たちが社会との関わりを持つことができるようにと地域・大人・若者の協働の場をつくる活動も行っている。その活動から生まれた変化や大人たち・若者に伝えたいことが後半にまとめられている。
 アクションを起こしてつながりをつくっている仁藤さんの著書。社会とのつながりの大切さと大きなくくりではなく個と向き合うことの重要性を考えながら読んでほしい。(825)
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