NPO・NGOの現場からうまれた文献のbook review

掲示板

BBS
アイコン設定
投稿者さん使い方

掲示板の主旨に反する投稿は掲載されません。掲載の是非は管理者が判断いたします。予めご了承願います。
C
C1212024 向谷地那響さん (8ezi30g4)2022/8/3 23:03 (No.494527)削除
貧困による孤立を防ぐ 青砥恭『ドキュメント高校中退:いま、貧困がうまれる場所』(ちくま新書 2009)
本書では、「学ぶことは生きること」ということを、親に代わって教える学校や地域のサポートが枯渇している事実を取り上げている。孤立して生きる貧困層にはそのような機関と繋がることは困難である。筆者が進めた調査の結果、子供たちが学校を中退していく要因の一つに、底辺校では教師達によって、自分からやめるように仕向けられるケースや、追い込まれていくケースが多いということがわかった。そのような学校では、学校の規則や集団生活になじめない生徒が多く、また子供の頃から差別を受けて育ってきた生徒たちが多い傾向にあった。そしてそのような生徒たちは些細な事でカッとなりやすい。そのような生徒たちに周りの生徒も引っ張られるため、反抗的な生徒を早めにやめさせることができる教師が評価されるという状況に陥ってしまうのだ。
高校を中退した若者たちは現在、経済的な貧困に留まらず、関係性の貧困、文化創造の貧困など生きる希望をいじできない「生の貧困」に陥っている。そしてそれは親の世代から続いている。筆者が一年間かけて直接間接を含め、聞き取りした高校中退者は100人を超えた。そのなかで、「貧しいとは選べないこと」という事実を重く受け止めた。貧しいとは、日々の生活や将来の選びようがないのだ。筆者が出会った、高校を中退した若者たちのほとんどは、どのような人生を生きるか、選択の自由どころかその可能性さえない若者たちだった。そのような暮らしの中から、子ども達が意欲や希望などを持てるはずがない。日本社会は階層構造ができない社会になっているのである。貧困な家庭の親も子も、社会から孤立しがちな今の社会に対して、どのように対応すればよいのか筆者はこれからも問題と向き合っていく。
また、若者たちの貧困は日本の最大の社会問題となっている。高校中退は、すでに単なる教育問題ではなく我々の社会が抱える最大の社会政策課題の一つになっているという事を私たち一人一人が考えなければならないのである。(819字)
返信
返信0
c
c1200707 金田珠輝さん (8ez0l82k)2022/8/3 23:01 (No.494521)削除
ループを止めることはできるのかー-仁藤夢乃『女子高生の裏社会 「関係性の貧困」に生きる少女たち』(光文社新書、2014)


本書は、元”難民高校生”だった著者が取材やアンケートをもとに書いた本である。
 両親との仲も学校での成績もよく、将来の夢もあって進学を控えているような「普通」の女子高生が、「JKリフレ」(個室でのマッサージ)や、「JKお散歩」(女子高生と客とのデート)の現場に入りこんでいる。「JKお散歩」をしているレナ(17歳)も元々は都立の全日制高校に通う女の子で飲食店バイトをしていた所謂「普通」の女子高生だった。「JKリフレ」をしている18歳のサヤもドルフィントレーラーになりたいという夢を持っている。
 「JK産業」で働く少女は3つの層に分けられ、①生活が困窮している「貧困層」②家庭や学校での関係や健康・精神状態に不安定で特別な事情を抱えている「不安定層」③貧困状態でも関係性にも困窮しておらず、特別な事情もない「生活安定層」があると著者は記している。最近はこの中でも「生活安定層」の少女たちが増えてきている。
 本書を読み進めると、店側を信頼している様子を感じる。「大丈夫」といった言葉や温かい飲み物1個をおごってもらった経験だけで「いいひと」と思い込み、「警察がしていることは営業妨害だ」という店長の言葉に共感を寄せる。また、求人として見つけた際にも「HPがあるから安心だ」と信用してしまう。また、普通の「お散歩」で健全なアルバイトだと思って応募をする少女も少なくない。その後怪しいと思っても抜け出せないのが裏社会の危うさである。
 少女たちの中には危ないとわかっていながらもやめられない少女たちが少なくない。お金をもらえる快感を覚えてしまい、ちょっとした性行為なら「我慢」出来てしまう。
 また、少女たちの中には売春行為という自覚がない少女も少なくない。こういった少女たちの気持ちを知ることも大切だが、寄り添い、「共に歩む人」となることが大切だと著者は語っている。(784)


本書は、元”難民高校生”だった著者が取材やアンケートをもとに書いた本である。
 両親との仲も学校での成績もよく、将来の夢もあって進学を控えているような「普通」の女子高生が、「JKリフレ」(個室でのマッサージ)や、「JKお散歩」(女子高生と客とのデート)の現場に入りこんでいる。「JKお散歩」をしているレナ(17歳)も元々は都立の全日制高校に通う女の子で飲食店バイトをしていた所謂「普通」の女子高生だった。「JKリフレ」をしている18歳のサヤもドルフィントレーラーになりたいという夢を持っている。
 「JK産業」で働く少女は3つの層に分けられ、①生活が困窮している「貧困層」②家庭や学校での関係や健康・精神状態に不安定で特別な事情を抱えている「不安定層」③貧困状態でも関係性にも困窮しておらず、特別な事情もない「生活安定層」があると著者は記している。最近はこの中でも「生活安定層」の少女たちが増えてきている。
 本書を読み進めると、店側を信頼している様子を感じる。「大丈夫」といった言葉や温かい飲み物1個をおごってもらった経験だけで「いいひと」と思い込み、「警察がしていることは営業妨害だ」という店長の言葉に共感を寄せる。また、求人として見つけた際にも「HPがあるから安心だ」と信用してしまう。また、普通の「お散歩」で健全なアルバイトだと思って応募をする少女も少なくない。その後怪しいと思っても抜け出せないのが裏社会の危うさである。
 少女たちの中には危ないとわかっていながらもやめられない少女たちが少なくない。お金をもらえる快感を覚えてしまい、ちょっとした性行為なら「我慢」出来てしまう。
 また、少女たちの中には売春行為という自覚がない少女も少なくない。こういった少女たちの気持ちを知ることも大切だが、寄り添い、「共に歩む人」となることが大切だと著者は語っている。(784)
返信
返信0
C
C1212024 向谷地那響さん (8ezi30g4)2022/8/3 23:01 (No.494520)削除
自分の本当の気持ちとは 加藤哲夫 『市民の日本語 NPCの可能性とコミュニケーション』 (ひつじ市民新書 2002)
筆者は、ある小学校でエイズの授業をした経験がある。小学六年生に対して行ったため、まだ性交渉の話はしないものの、エイズとはどんな病気であるかといく基本知識は、学校の先生に前の時間に済ませ、そこへ筆者が出向いて色々なことを語った。その中で、次のようなゲームを行った。カードに、学校の先生だとか家族だとか、仲のいい友達であるとか、嫌な友達であるとか色々な周りの人々のことを書いておいて、それを子供たちにくじで引かせる。そして「もし、引いたそのカードに書かれている人がエイズという病気であるということを聞いたらどんなふうに感じるか」と質問をなげかけた。その時、筆者は子供たちに対して、感じたことを書くように言ったのにもかかわらず、何人もの子供たちが「ほんとうに感じたことを書いていいの?」と声をあげるのだ。それは、何か正解があってそれを当てるだとか、正解を書かなくてはいけないというように小学1年生から6年生まで思い込まされているということの現れであった。内側から「感じる」のではなく、外側の正解を「当ててしまう」ようになっているわけだ。これを繰り返すと、自尊心や自負心が崩れていく。人にどう思われるか、ということを考えないで完全に1人になるというのがあって、初めて「個人」や、「自我」が育つ。一番大切なことは、1人になって小さな決断をするということ、そしてその決断の欠課を誰かのせいにせずに引き受けることである。
個人になるためには、これを日々積みかさねるしかないが、私たちは「世間」という枠組みの中で動いている以上は、毎日他人の顔色や人の判断を気にして生きているわけである。このワークショップから、コミュニケーションが実はとてつもなく違う人間の中で行われているということが感じられ、見えてくるのである。傷ついたらいけないというと何も始まらない、ということを相互に感じられるような安全な場そのものを不断の生活の中に維持しておくことが必要である。(818字)
返信
返信0
C
C1211326 鈴木冴香さん (8ezdmi12)2022/8/3 23:01 (No.494518)削除
ブラックは社会問題ーー 今野晴貴 『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書、2012)

 著者の今野晴貴さんは大学時代に労働法を専攻し、NPO法人「POSSE」を立ち上げた。現在はPOSSEの代表として労働・生活相談に関わり福祉政策などについても研究・提言している。この本では、過酷な職場環境に悩む人々の相談にのる著者が実際の事例を交えながら論じている。
 非正規雇用の若者をフリーターと呼び、働かない若者をニートと言ってやる気のない者とレッテル貼りされた2000年代からすでにブラック企業問題は始まっていたのだ。非正規労働者に未来はないという強迫的な教育があり、それだけではなくこのころから若者正規雇用社員の「使い捨て」がなされるようになったのである。相談者は「自分が悪い」と言っており、このことから企業への従属や人格操作が見えてきた。
 ブラック企業の被害として、個人の事案について書かれるのはもちろんであるが、この本はブラックな会社を社会問題として取り扱っている。著者は「NPOを通じて、相談や告発だけはない問題提起をしたいのだ。」と述べており、働きすぎが当たり前になる世の中、宗教じみた研修から始まりパワハラによる精神疲労などの例を挙げて日本社会の闇を本に詰めている。
 本来ブラック企業とは明確な定義がないため、無駄に多く働かされることがある。自分が勤めている会社はブラックかどうかわからない、という人もいるだろう。この本にはどのようなものをブラック企業と呼ぶのか、対策はあるのかなども書かれている。対策として、「真っ向から戦うこと」などを挙げている。圧迫された社会の中で企業のマインドコントロールに苦しめられる人たちに、自分が悪いという思いから抜け出す、労働法の観点からその労働自体を見直して企業と戦うともある。
 簡単には解決しないブラック企業問題。それを社会問題として取り上げることで一人で苦しむ人の支えになり、自分が悪いというマインドから抜け出し、自分の状態を見直せるような一冊になっている。
(830字)
返信
返信0
C
C1212024 向谷地那響さん (8ezi30g4)2022/8/3 22:59 (No.494516)削除
障碍者の性を考える 坂爪真吾 『男子の貞操 僕らの性は、僕らが語る』(ちくま新書 2014)
本書では、筆者が運営する非営利組織・ホワイトハンズの活動について描かれている。ホワイトハンズでは、重度身体障害者に対する性的なサービスを全国各地で提供している。それは、単なる性欲の処理としてではなく、性機能のケア、性の健康の権利を守るためのケアを行なうという理念で行われているサービスだ。ケアを受けた利用者は、「男性としての自尊心を回復することができた」と言う人が多い。
また、ホワイトハンズでは「障害者の性」問題を考えるワークショップを、全国各地で開催している。そんな中、ホワイトハンズには、全国カラ「障害者専門風俗店を開業したいので、相談に乗って欲しい」という依頼が多く寄せられている。そうした相談に対し、筆者は「悪いことは言わないからやめた方がいい」と答える。なぜかというと、そうしたことを持ちかけてくる人の大半は、実際に障害者に接した経験がほとんど無い上に、これから障害者の現状やニーズを勉強しようという意欲もない場合が多いからである。「障害者は皆、恋愛や性行為をできず苦しんでいる、かわいそうな弱者に違いない」という一方的な思い込みと、見当違いのヒューマニズムだけで、開業を考えているものが多いということだ。これは、人間にありがちな「自分の見たいものだけを見る」ということである。私たち個人や社会の偏見を知らず知らずのうちに押し付けて考えてしまうというのは、普遍的に存在する問題である。そして、現在問題となっているのが、「行動して実践する人」が圧倒的に足りないということである。仮に、それができる人が現れたとしても、障害者専門風俗点の開業希望者のように、見当違いの方向に走ってしまう人が多い。そして、筆者を含む障害者と性というセンシティブな分野の実践者には、常に世間の批判がつきまとうのが現状である。筆者は、この状況下にあり、現在山積している社会の性問題を解決するためにもっとも必要なことは、「0点の状態をまず、5点、10点にしていくこと」と考えている。自分にできる範囲で実践を積み重ねていくことで、その実現に着実に近づくと考え、実践を続けている。(877字)
返信
返信0
c
c1210628 小野寺多映さん (8ezi4esp)2022/8/3 22:57 (No.494512)削除
現地の難解さ――伊勢崎賢治『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書、2004)

筆者は大学院時代、ホルヘ・アンソレーナ神父との出会いで途上国スラムの住環境改善の市民活動に関心を抱き、インドへ留学する。住民組織の門をたたくが、結果として1年で中退する。その後インドで4年間、スラムの住民組織を支援するコミュニティー・オーガナイザーとして取り組んだ後、国際NGOに身を置くことになる。国際連合職員として東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンに赴く。そして2001年、国連PKOミッション、UNAMSILでDDRを統括する責任者となり、武装解除と治安維持の使命を背負った。
武装解除とは、戦闘員に銃を捨てさせることだが、DDRというのは、これに加えて軍事組織の動員解除と再動員されぬよう復員事業を行うのだ。戦争・紛争地域への支援や援助は決して一筋縄ではいかない。それでも、武装解除は、紛争が日々目の前で繰り広げられる人々にとってとても大切な平和移行の働きかけなのだ。本書の内容で印象に残った文がある。それは、「重犯罪と隣り合わせの日常生活の中でシエラレオネの一般民衆は、日本の若者の良心的な期待に違わず、復讐せず、黙々と和解するのだ。(本書p103.4行目)」という文だ。法と秩序が崩れている貧しい国の民は復讐する気も失せ、絶望しながら和解するのだという。それがどういうことなのか、ニュースや授業でしか紛争に触れてこなかった私達に理解できるだろうか。子供の手足が根元から切り落とされるような世界を私たちは見えていない。しかし、平和とは何なのか、原因のわかっている紛争を無くすにはどうすればよいのか、日本に住む私たちが関係のない事ではない。自衛隊が海外派遣される是非や戦争の放棄を掲げる意義を考えねばならないのではないだろうか。そして、筆者が幻滅してしまったNGOは紛争そのものにどう働きかければよいのだろうか。(743)
返信
返信0
C
C1212024 向谷地那響さん (8ezi30g4)2022/8/3 22:55 (No.494505)削除
障碍者の尊厳を守るには 渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(文集文庫2013) 
 本書では、筋ジストロフィー症を抱えた男性、鹿野さんが自ら、自分の人生をどう過ごしていきたいかを考えボランティアの方々との関りを経ながら生きていく姿を描いている。実際にあった話だとは思えないほどに、過酷な環境下で生活を送っていた時もあるようだった。「施設には入れたら安全で幸せ、補助を受けながら充実した生活が送れる」という固定概念と現実の相違がそこにはあった。
 施設の形態は様々で、障害の重さによって入居できる施設が変わってくる。鹿野さんが筋ジストロフィー症であると診断を受けたのは、小学生の時だ。筋ジストロフィー症は、筋肉の変性、壊死が生じその結果、筋肉委縮や脂肪・線維化から筋力が低下し運動機能などの各機能障害をもたらすものである。鹿野さんは若いうちは、同じ筋ジストロフィー症患者の友人らとかなり遊びまわったという。順当にいけば国から出る手当を受け取り、施設に入って暮らす日々が続いていくはずだった。しかし、鹿野さんはその道を選ばなかった。24時間自宅でボランティアスタッフと共に生きることを決め、施設を飛び出したのだった。
 また、ボランティア活動を通して、多くのことを学び変わっていった学生たちの姿も非常に印象的だ。はじめは「かわいそうな人を助けてあげる」という気持ちで取り組み始めた学生たちが鹿野さんと関わって考えがどんどん変化していく。鹿野さんは、自分の病気について、介助の方法について学生たちに力説する。まるで教授のように、自分の介助方法を新人のボランティアスタッフにレクチャーするのだった。そうしてボランティアを続けていくうちに、「介助してあげる」という意識で始めた学生たちは、「介助させてもらっている」という意識に変わっていったという。タイトルにある「こんな夜更けにバナナかよ」がそれをわかりやすく表していると思う。自分で寝返りが打てず、なかなか寝付けない鹿野さんが夜中にスタッフに対して、「バナナが食べたい。買ってきて。」と言えること自体が今の世の中にあってそう簡単ではないのだ。(845字)
返信
返信0
C
C1200736 神尾魁さん (8ezi1myu)2022/8/3 22:54 (No.494501)削除
伊佐 淳 『NPOを考える』 創成社 2008年9月10日

伊佐淳 1962年沖縄県生まれ。琉球大学法文学部経済学科卒業。久留米大学経済学部教授。佐賀県公益認定等審議会委員などを務める。扱っている分野は人文・社会/経営学/地域研究。
私は伊佐淳の「NPOを考える」を読んだ。この本ではNPOについて基盤ともいえる基礎的な部分から解説しておりNPOについてより深く理解できた。
内容としては第一部でNPOの定義に始まり、NPO法人の現状と課題、法人制度や活動概要、NPO法人のメリット・デメリットについて書かれている。第二部ではNPOについての伊佐淳による分析が書かれている。第三部ではNPOのこれからについてアメリカのNPO制度を説明し、これから学べる点を書いている。
本書ではNPOは個人のボランタリズムを発揮し社会的な力に変えていく存在であるとしている。ボランタリズムの定義は自発性、無償性、利他性、先駆性、補完性、自己実現性とされている。NPOの原点に1980年代から1990年代に広がった住民参加型による助け合いサービスというものがあった。活動の内容はホームヘルプサービスだ。これは当時、日曜・祝日・夜間などに対応してなかった自治体の福祉制度の隙間を埋めるような活動であった。これらの活動を始め介護保険下で事業を展開するNPO法人となった。介護保険によりNPO法人が責任を持ち事業を継続していく基盤ができたともいえる。だが著者である伊佐は介護保険依存体質になっていると危惧している。NPO法人の増加と共に解散するNPO法人も増えている。NPO法人が減らないようにするためにはガバナンスが重要になる。現代においてNPOを支援する組織も増えている。こうした組織から支援を受け伊佐は地域に根差した活動に期待している。
この本を読んだことにより、NPO=ボランティアではなく、民間と同じでお金を稼ぐことも重要だと学べた。(730)
返信
返信0
C
C1212194 六沢友香さん (8ezhpsdq)2022/8/3 22:45 (No.494486)削除
「貧困への社会的風潮ためにできること」
(湯銭 誠 「反貧困『すべり台社会』からの脱出」 岩波書店 2008年)

この本の著者である湯銭誠さんは、1995年よりホームレス支援活動を行っており、社会活動家や法政大学教授をとして活動している。
 この本は、貧困の現場で活動する著者が貧困を自己責任とする風潮を批判し、誰もが人間らしく生きることのできる「強い社会」へ向けて、課題と希望を語る本である。最初に本の中である夫婦の話が語られている。ここではとある夫婦が貧困の中でどのような生活をしてきたかのかも語られている。この話の中で著者は「貧困は自己責任なのか」という疑問に至る。著者は夫婦の事例を「極端な事例」「レアケース」として個人的な不幸・不運の問題と片づけられがちだと語っている。また具合が悪くて仕事が続かない、といった部分は「根性は足りない」「計画性がない」と非難されやすいと述べている。ここから、その人の経済的状況や精神状態をその人の周辺の人々はそういった個人が抱える問題を知ろうともせずすぐ批判する。この風習が日本社会の貧困問題解決を阻害しているように考えられる。このような目に見えない風習を社会から無くさない限り貧困も問題はいつまで経っても解決には結びつかない。また著者は何が問題で、私たちに何ができるのか、を真剣に考える時期に来ているのではないだろうかと述べている。本の中で「じゃあ勝手にすれば」と彼を突き放したところで、状況は何も変わらないと述べていて、このことに対し、貧困などで追い詰められている人が社会的に放置されてしまうことにより最終的に絶望して自ら命を絶つという選択をしてしまう人もいたりする。貧困などで孤独に苦しんでいる人がそのような選択をしてしまわないように周囲にいる人々は悩みを聞くといった行為でもその人の苦しみから解放することができる。
  貧困問題を解決するには目の前に山積みになっている問題を解決することから始めなければならない。かなりの時間がかかってしまうだろう。それでもNPOや行政、周囲の人間が団結すれば「貧困は自己責任」とする風習を抹消できると思う。(880字)
返信
返信0
C
C1210812清原永遠さん (8ezhmv57)2022/8/3 22:43 (No.494480)削除
「チェルノブイリから学んだお母さんのための放射能対策BOOK」 野呂美加 学用書房(2011/9/17)

 この本の著者である野呂美加さんは、「特定非営利活動法人チェルノブイリへのかけはし」の代表である。「チェルノブイリ原発事故で被災した子どもたちに、放射能のない場所で夏休みをあげよう」という保養里親運動を、1992年より始め19年間続ける。放射能で汚染された土地で育ち、そこで獲れたものを食べ続けることによって慢性の被ばく症を抱えたベラルーシ共和国の子どもたち648人を、北海道をはじめ、日本各地の一般家庭で1ヶ月間ホームステイ形式で受け入れてきた。東日本大地震後、フクシマで原発事故による放射能汚染と、その子どもへの影響について、チェルノブイリでの体験をもとにお母さんたちの相談にのっている。
 本書は大きく3つの章からなり、1つめの章では「チェルノブイリの子どもたちの健康状態お保養の効果」について書かれている。具体的にはチェルノブイリ原発事故2〜3年後に、小児甲状腺がんが増加したこと、チェルノブイリ原発事故から10年以上たって病気の数が増加したことや、ドイツから呼びかけられたチェルノブイリの子どもたちの海外保養について書いてある。この1つめの章を読み特に印象にこ残った部分は、チェルノブイリ原発事故を受けた子どもが成長し親になり、その子どもまで放射能の影響を受けている話である。しかしこの話はこのような悲しい思いをしている子どもや親を救うために、被災した人たちを転地療養に招くことに繋がり、これをきっかけに「特定非営利活動法人チェルノブイリへのかけはし」が出来上がったということを知った。2つめの章では、活動から学んだ放射線物質が体にどのような影響があるのか、3つめの章に、食事や日常生活、メンタル面での放射能対策の仕方について語っている。野呂さんNPO法人ではこのような放射能対策を本書のように発信したり、原発事故を受けた子どもたちの保養プロジェクトを行なっている。(813文字)
返信
返信0

Copyright © NPO・NGO論, All Rights Reserved.