NPO・NGOの現場からうまれた文献のbook review

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C1221862 野仲彩月さん (8t5oghr4)2023/7/26 23:56 (No.858245)削除
いとうせいこう『「国境なき医師団」を見に行く』(講談社、2017)

 あなたはMSFを知っているだろうか。MSFとは「国境なき医師団」という意味である。国境なき医師団とは「民間で非営利の医療・人道団体である。紛争や自然災害、貧困などにより危機に直面する人々に、独立・中立・公平な立場で緊急医療支援を届けている。医療援助と同時に、現地で目のあたりにした人道危機を社会に訴える「証言活動」も国境なき医師団の使命である」としている。さて国境なき医師団と聞くと医療従事者たちが支援していると思っている人もいるだろう。しかし、医療従事者でなくともMSFに携わることができる。なぜなら医療従事者だけでなく、安全に輸送する人、薬剤、環境を整える人たちがいるからこそ医療は支えられ支援が成り立つのである。
 この本は大きく四つの章で構成されている。ハイチ編、ギリシャ編、フィリピン編、ウガンダ編と筆者が取材した国を主に書いている。作者が現地で取材した現実、たくさんのつながりのなかで考え方、見かた、認識が変化するきっかけでもあった。日本で描かれていたMSFの実態と実際に現地で体験したMSFの実態は異なっており、現地の状況を知り作者の考え方が変化することが読んでいるうちに理解できるだろう。
 支援している国ではMSFは現地の人々の命を救っていることがこの本書を読み進めば見て取ることができるだろう。感謝されていることは現地に実際に赴き、現地の人々と交流しなければ実感することができない。作者は現地に取材しに行きその状況について会話型形式で語っている。
 会話形式で読んでいるうちに読者が現場に居合わせているかのような臨場感を体験できる。また、現地で体験したこと、ギャグなどを交えながら堅苦しくなく文章にしている。MSFや海外支援に興味がある人にお勧めしたい一冊である。興味がなくても世界の状況を知るきっかけにつながるのでぜひ本書をお手にとって読んでみてほしい。(768字)
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c1212047 村上里玖さん (8ezkdkeo)2023/7/26 23:53 (No.858243)削除
『ブラック企業』-日本を食いつぶす妖怪 今野晴貴(文春新書2012年 11月)

本書は、ブラック企業を日本の社会や経済を破壊する恐れのある、非常に重大な社会問題としてとらえることの重要性を示している。
ブラック企業は若者の未来を奪い、さらには少子化を引き起こし、社会保障や税制を根幹から揺るがす問題であると同時に、消費者の安全を脅かし社会の技術水準にも影響を与えるため、ブラック企業の規制を実現してこそ、日本経済を高め、社会の発展を実現できると筆者は考えている。第一部では全五章にわけてブラック企業について解説を行っている。第一章ではブラック企業の実態について記されている。ブラック企業ははじめに立場の弱い人間に対して心身を痛めつけ、判断能力を鈍らせ、身体的にも精神的にも支配し思考を放棄させるようにし、従業員のすべてをコントロールする。宗教的ともいえる新人研修を行い感覚を麻痺させていく。考える暇を与えないよう、次々と仕事を与えられる。尋常ではない量の仕事を与えられた従業員は仕事をこなせば給料は上がらないが評価が上がり、こなせなければ給料を下げられ評価も下げられるという仕打ちを受けてしまう。さらに、上司が仕事を十分にこなせない従業員に対して様々なハラスメントを仕掛けることでついていくことができない人間を退職に追い込み、思考力を奪い何でも言うことを聞く従順な従業員のみを馬車馬のように働かせるという手口を用いている。第二章では実際のブラック企業で何が行われていたが記されている。第三章ではブラック企業のパターンを紹介している。募集段階、選別の段階、使い捨ての段階、そして職場の崩壊と順序がある。法に触れることなく月収を誇張、正社員という偽装を施し入社後もまるで就活のような状態が続き、戦略的にパワハラを仕掛け、長時間労働の強要と残業代を払わないという恐ろしい内容が記されている。
今野晴貴氏は2006年にNPO法人POSSEを立ち上げその経験をもとにブラック企業の恐ろしさを伝えその対策を講じている。ブラック企業について不安が多い学生こそ読んでほしい一冊である。(833字)
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C1222169 松橋 快さん (8t5ob2e1)2023/7/26 23:52 (No.858242)削除
ボランティアによる介助者と患者のいびつな関係性―渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』(文藝春秋、2018)
はじめに 本レポートでは、本書を読んで自分が感じたことまた、読む前と後での感情の変化について記していく
まず初めに、この本書を読んで感じたことは、要介護者であり、進行性筋ジストロフィ―を患っている鹿野靖明本人が自らボランティアを募集していること、病院ではなく自立して生活を送ろうとしていることに生命の強さを感じた。普通なら、要介護者であるならば、親の力を借り生きていくか、病院で解除してもらうという選択しか浮かばないが、自ら自立してボランティアに介護されるという決断をしている。また、立場上、弱い立場である鹿野さんがボランティアにきている人に対して、「介助させてあげている」というマインドで接していたという。そこから、私は、鹿野さんはもちろんのこと、解除をする人にとってもメリットが大いにあるボランティアであり、相互関係が気づけているなと感じた。介助をするにあたって鹿野さんは自分で呼吸をすることができない、そのうえ、体を動かすこともままならない。そのため、人工呼吸器につながれているのだが、痰がたまってしまうため吸引機で痰を吸いとることや、週に一回風呂に入れるなどの手伝いが必要である。このことのほかにも、寝泊りで交代して鹿野さんの介助を行ったりと、人手が必要になってくる。そうすると、鹿野さん自身がボランティアの募集をする。このように、要介護者が自ら行動して介助してもらおうと行動し、そこでボランティアに参加する人々が経験値として鹿野さんの介助を行う、この循環により、さまざまなつながりや経験を増やすことができ、新たに要介護者に対する介助を行う手立てになると思う。(731文字)
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C122126A 庄司斐さん (8t5o6nxl)2023/7/26 23:52 (No.858240)削除
すみません文字数を書き忘れていました。
799文字です。
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C122126A 庄司斐さん (8t5o6nxl)2023/7/26 23:49 (No.858237)削除
武装解除 紛争屋が見た世界 ーー 伊勢崎賢治(講談社現代新書、2004年12月18日)

この本は著者である伊勢崎賢治氏が東ティモールで暫定政府県知事になったこと、西アフリカのシエラレオネでゲリラの武装解除を行ったこと、アフガニスタンで軍閥の武装解除を行ったことなど実際に体験したことからから正義とは何か、平和とは何かについての考えが書かれている。
 私はこの本を読んでいるなかで現在起きているウクライナとロシアの戦争が思い浮かんだ、著者は東ティモールについて書いてある最後のページで、非武装国家を目指していたが、それは結局、大国の圏域利権の露骨な介入により実現することはなかったと書かいていたり、アフガニスタンでの軍閥の武装解除についてのページでも「アメリカがおっぱじめた紛争だからだ」など皮肉をおこめた書き方をしていたりしている。確かに今のウクライナとロシアとの戦争の構図も小国の紛争とはだいぶ規模が違うが結局、ロシアとアメリカ・NATOの圏域利権の争いにウクライナが巻き込まれているような形かもしれない。本の第4章の介入の正義では「人道援助NGOは、政治的発言を敢えてしないし、戦争に表立って反対することもしない。しかし、である。ビジネスというと少し語弊があるかもしれないが、彼ら人道援助団体が活動できて、その職員が食い扶持を得られるのは、人道問題が起こるからで、それをつくるのは戦争である。」と書いていたり、「人道援助は、もはや「戦争利権」の1つなのである。人道援助を非営利である人道援助団体が牛耳っている時代は終わったのだ。人道援助の利権をめぐってNGOと営利企業が競うようなご時世になってきている。」と書いており、いったい誰のための正義でなんのための平和なんだろうか私も考えさせられた。将来ウクライナとロシアの戦争が終わった時も利権をめぐっての競いあいが起こるのだろうなと思った。
 ぜひ一度この本を読んでもらっていったい今起きている戦争は何のためで誰が正義なのか考えてほしいと思う。
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C1210597 奥山 華さん (8t5o4xsx)2023/7/26 23:47 (No.858236)削除
社会が生み出した貧困と自己責任論ーー湯浅 誠『どんとこい、貧困』(加藤文明社、2009年)

この本書では、社会問題として「貧困」を取り上げられている。第1章では「どんとこい、自己責任論」、第2章では「ぼくらの社会をあきらめない」が記されている。内容としては、貧困には様々な種類があることや貧困の定義を教えてくれている。例えば、ホームレス問題や生活保護、ネットカフェ難民などについて取り上げられていて、どうしてそのような貧困に陥いてしまったか、どれほど深刻なのかを数字や表を使って現状を示している。
 まず、第1章に記されてある「自己責任論」というのは自分で貧困を作り出したのではないかという自論である。例えば、もっと頑張れば仕事くらい見つかったのではないかあるいは、もっと仕事を頑張ってお金を稼いでいれば、貧困は防げたのではないか、だから努力してなかった自分が悪いんじゃないのかという自論や最初から何かあった時のために貯金しておけばホームレスを防げたのに、自分がちゃんと危機意識がなかったのが問題ではないのかなど、これらの全ての自論を「自己責任論」という言葉で表している。この「自己責任論」に関して、著者の湯浅誠さんの考えは“まず、時期によって求められる努力の量が変わってくる”と言った。不況で仕事の数が減っている時期であるため就職できない人もいれば、同じ時期に社会に出てくる人たちの間でもお金を持っている人といない人で求められる努力の量が違うことがある。また、湯浅誠さんはホームレス問題の活動家として様々なホームレスの方たちと関わってきたため、どうしてホームレスになったかを知っている。危機意識が足りなくてホームレスになったわけではなく、不況と中高年齢化が重なってしまい90年代にホームレス状態の人が増えてしまったのだ。
 よって、危機意識がなかったのは社会側であり、個人がいくら努力しても、どうにもならない社会になってしまっていることこそ問題であると反論した。最後に誠さんは貧困者に対しての本当のやさしさは同じ目線になることであると伝えた。あなたもこの本を読んで貧困者の立場になって考え、助けたい気持ちが高まる本となるため、読む価値があると思う。(876字)
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松本悠奈さん (8t5lvefu)2023/7/26 23:43 (No.858233)削除
工藤啓著
『NPOで働く』(東洋経済2011)
「社会課題先進国」と呼ばれる日本では、政府や行政がすべての課題を解決することは不可能になっている。自分自身が身近な地域の問題に取り組み、日本社会が抱える課題解決にチャレンジしていなかければならない。NPOはその手段の一つとして大きな可能性を秘めている。筆者は、アメリカ留学とヨーロッパ視察を経て、社会参加と経済的自立に向かう無職の若者を支援する、育て上げネットを立ち上げる。本書では、育て上げネットを例に挙げ、NPOとはどんな組織なのか、また、NPOで働くとはどういうことなのかについて書かれている。
この本を読んでいて思ったことは、工藤さんには多くの助けてくれる仲間がいるということである。ベンチャー企業で給料もまともに出すことができない企業で働く決意をした方が何人もいた。それは、工藤さんのNPOの理念に共感し、一緒に創り上げたいと思ったからではないだろうか。そして、工藤さんの想いに共感する人が増えて、このNPOは現在まであり続けているのだと思う。そして、その背景には必ず工藤さんの父の存在があった。工藤さんは、NPOを立ち上げる上で、道に迷うことや失敗することも多かったが、そういったときには必ずと言っていい程、父が助言してくれていた。その助言に救われてきていた場面が何度もあった。
NPOと聞くとボランティアでお給料は発生しないというイメージを持ちがちだが、意外と普通の会社のようにお給料はもらえる。工藤さんは、「NPOで働くということが、ごくありふれた選択、当たり前のキャリアになってほしい」と述べていた。私も、将来自分がやりたいことを考えたときに、NPOを立ち上げるのも可能性としてアリだと考えている。そう言った意味でも、今回この本を読んで参考になる部分が非常に多かった。NPOの立ち上げも会社の立ち上げも、名前が異なるだけで、経営をしていくという中身に変わりはないのだとおもった。(797字
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C1221951 坂内仁美さん (8t5nkhwu)2023/7/26 23:31 (No.858222)削除
障害者という立場を超えて――渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』(文藝春秋、2013年 第1刷発行)

 大変なのは障害者だけではない。障害の有無にかかわらず、健常者だって大変な思いをしている。「今は、健常者だって生きるのがタイヘンだから」。筋ジストロフィーという難病を抱える鹿野靖明の言葉に、ハッとさせられた。
 筋ジストロフィーとは、全身の筋肉が徐々に衰えていく難病であり、効果的な治療法は未だ解明されていない。本書で取り上げられている当時40歳の男性、鹿野靖明は、ほとんど寝たきりの生活を送る重度身体障害者である。彼のわがままで正直な、人間らしい振る舞いも見どころのひとつだが、24時間介助が必要な彼を支える様々なボランティアの面々も、本書を語るうえでは絶対に欠かせない存在だ。ここで描かれている彼らのやり取りは、日常の中のほんの一部に過ぎないのだろう。しかしそこから、ただのボランティアと障害者の関係を超えた、なにか言葉で表しがたい絆のようなものを感じずにはいられない。鹿野がボランティアと関わりながら、自身の生き方について考えていく。そこには障害者本人が選択し、望んだ生活を送るために十分な制度や支援体制が整っていないという社会問題が潜んでいるように感じた。本書のタイトルである『こんな夜更けにバナナかよ』。このフレーズだけを見ると一体何のことなのかさっぱりわからないが、これはある一人の学生ボランティアと鹿野が深夜に交わしたやり取りがもとになっている。鹿野の介助をするなかで、「してあげるもの」という認識だった学生ボランティアたちの考え方が、「させていただくもの」へと変化していくさまも非常に印象的だ。
 著者である渡辺一史は、当時フリーライターとして鹿野のもとを訪れており、2003年に刊行された本書がノンフィクションライターである彼のデビュー作である。本書を読んで、今まで自分が持っていた障害者のイメージがいい意味で覆された。鹿野たちの人生を知ることで、障害者との新たな関係の形が見えてくるだろう。(795字)
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C1200564 小野桂輔さん (8t57d5wq)2023/7/26 23:31 (No.858221)削除
今野春貴 「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」(文春新書、2012)

著者、今野春貴さんはNPO法人「POSSE」で代表理事を務めながら、労働問題についての研究を行っている。仕事の傍ら、若者らの労働相談に耳を傾け、日本の労働問題について関わり続けている。この本のテーマであるブラック企業が世間に浸透したのは、200年代に起こった雇用問題、そしてリーマンショックによりそれまでは表に出ることはなかった企業の闇が広まったことが始まりである。ブラック企業の主な被害者は若者であり、リーマンショックの後から企業における若者の正社員に対する被害は変化した。企業に使い捨てにされ、企業に破壊される若者を救いたい思いからNPO法人「POSSE」を立ち上げた。POSSEでは、年間数百件の労働に関する相談を受けている。著者である今野さんは、こうした労働相談からブラック企業における問題点を明確にして分析している。大きく分けて3つに分類され一つ目に選別、二つ目は使い捨て、3つ目は無秩序となっている。この3つこそブラック企業が若者労働者に与える影響の要因となっている。ブラック企業では多くの若者は働くことを継続することができない、結果仕事を辞めてしまいその後の人生に大きな影響を与える。この本で著者が重要であると語られているのは、戦略的思考というものである。ブラック企業の理不尽さに飲まれないこと、自分自身を責めず追い込まない。法律を駆使し労働者としてあるべき正式な権利を主張することが戦略的思考に当てはまる。ブラック企業はそれが当たり前かのように若者を酷使する。しかしそれらは決してあってはならないことである。このようなブラック企業がまだ日本に存在してしまうのは、未だに十分なブラック企業に対する対策が行われていないからである。ブラック企業が社会に与える影響は大きく、若者の仕事の機会が奪われている。この本を通して著者は、NPOを通じて問題解決に向けつながりを持ち、一人一人がこの問題に向き合う機会を与え続けることであると考える。 (834字)
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c1200475 大沼祐太さん (8t56xhog)2023/7/26 23:23 (No.858210)削除
金子 郁容『ボランティア もうひとつの情報社会』
岩波新書 1992年

本書は、「ボランティアとはなにか」と言う問いについて、筆者なりの観点や他の物事との関係性から記された本である。第1章ではボランティアをするにあたる経緯や内容などを事例を踏まえて説明している。人間は困難に直面している人を見たり、聞いたりすると少なからず心が動いてしまう。それがボランティアの出発点なのである。アメリカの老人が子供たちの朝食を無料で提供する話では、偶然テレビでやっていた「アメリカの飢餓」のニュースを見てボランティア活動をしようと思ったそうだ。この活動は夏休み前まで行われ、友人や知り合いも寄付をし始めた。そこから町の補助金など様々な人が関わりを持ち始めた。これは先程書いた、なにかに影響されて心が動いてボランティアに繋がるという考え方と同じである。またこの本で最も感銘を受けた部分は、『一般の企業にボランティアをもちかけた際、協力者に対して、私は一方的に「してもらった」という気持ちはしない。彼らが普段の業務では得られない「社会とのつながり」を実感する機会を、私が提供しているのだと考えるからである。つまり、こちらから頼んでいるのではあるが、実はこちらからその人がボランティアになる機会を与えているのだ。』という文である。ボランティア活動をする際どうしても助けてあげたいという上からの目線で行動してしまうことが多くなってしまう。確かにボランティアを通して援助される側は形として残るためそこだけを注目される。しかし援助、ボランティアをした側は活動自体が報酬になるのだ。行動することが社会的に賞賛されるものであるのだ。企業で考えると、ボランティアをすることがそのまま企業のイメージになるため報酬の目線で見ると対等な立場なのである。
以上のように本書は日本でも聞き馴染みのあるボランティアというものの本質を読みといていくものになっている。ボランティアが持つ効力やそれぞれの立場から見たボランティアのイメージ、ボランティアで生まれたネットワークなど思ってもみないところから切り込む内容が多く、ボランティア活動をしている人に読んで欲しい1冊であった。

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